ことば学
言葉は心。ことばは人生

9.夢のお告げは百発百中!

父が亡くなったのが、2月6日。

10日後の2月16日が、私立高校の入試でした。

その日の朝、不思議な夢を見て、起きるなり「受かった、受かった」と言いふらした私でした。

 

   前回のお話は、こちら ◎◎◎

 

そして、1か月後の3月6日が公立高校の入試日。

その日の朝は、特に夢も見ず、

 

あの時は、お父さんが死んだばかりだったから、特別だったんだな

 

なんて思いつつ、無事試験を終えたのでした。

 

サクラ

 

その頃の愛知県では、公立高校の入試は学校群制でした。

わたしも、〇群A校B校という学校群を受けました。

A校は、亡き父の母校。

B校は、名古屋市の外れにある可もなく不可もなくといった感じの高校です。

母には、3人の子供のうち、一人くらいはA校にとの思いがあったようです。

けれど、A校は、昔、愛知一中と言われていた、県下でもトップクラスの進学校です。

もし、そんなところに振り分けられたりしたら、わたしは落ちこぼれになりかねません。

母の思いとは裏腹に、わたしはB校に振り分けられ、そこそこの成績でノンビリとした高校生活を送りたいと願っていました。

 

さて、合格発表の日の朝、またまた夢を見ました。

それは、B校の方の掲示板にわたしの受験番号が載っているというものでした。

わたしは起きるなり、母に言いました。

 

わたし、B校だから

 

何言ってるの。これから見に行くんでしょ。

 

母が呆れたように答えます。

 

それから、2人で一緒に合格発表を見に行きました。

母は、いそいそとA校の合格者が貼り出されている掲示板の方へ。

わたしは、当たり前のようにB校の方へ。

 

もちろん、わたしの受験番号は、B校の方の掲示板にありました。

 

その後も、大学入試から就職試験の結果まで、すべて事前に夢で結果がわかりました。

まさに、百発百中です!

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 この話をすると、回りの人からは、よく「前もって分かるなんて、いいなぁ」と言われます。

でも、落ちるのも分かってしまうってのは、結構辛いものがありますよ。

 

なにはともあれ、わたしは無事希望する高校へと進学が決まり、ノンビリとした高校生活を送ることとなったのでした。

 

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投稿日時: 2015年08月27日

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8.泣けなかった・・・

おまえ、泣かなかったな

 

中学校の卒業式で、担任の先生から言われた言葉です。

 

そうです。

わたしは、卒業式で泣きませんでした。

 

卒業式だけではなく、

 

父が癌で余命わずかと聞いた時も

父が病室で息を引き取った時も

お葬式の時も

 

わたしは、一度も泣きませんでした。

 

わたしは、なんて薄情な娘なんだろう。

泣かない自分を、冷ややかに見ている別の自分がいました。

 

でも、わたしは、泣かなかったのではありません。

泣けなかったのです。

泣くだけの、心の余裕がありませんでした。

次から次へと課題がやってきて、それをこなすのに必死だったわたしに、泣いている暇はありませんでした。

受け止めるのが怖かったのでもありました。

あまりに大きすぎて、受け止めたら、自分がつぶれてしまいそうで、逃げてもいたのです。

 

実は、わたしは仲のいいクラスメートにも、父のことは一言も話しませんでした。

だって、学校に行って、友人に「お父さんの具合は、どう?」なんて、聞かれたら、その場で崩れてしまいそうだったもの。

だから、わたしは学校にいる間だけは、心の重荷を忘れることができました。

そうして、なんとか自分を保っていられたのです。

 

 

今、わたしは、こう思います。

 

泣いている暇がなかったからこそ、今の自分があるのだと。

 

もし泣いて、悲しみにすっぽりとはまってしまっていたなら、わたしの人生はまた違ったものになっていたでしょう。

 

わたしは、まもなく57歳になります。

そうして、今、自分の人生をふりかえって見た時に、

 

あの時、ああすれば良かったか?

こうすれば良かったか?

 

と、考えてみたりもします。

 

でも、わたしは、やっぱりこの生き方しかできなかったと思うのです。

 

ものすごく苦しかったり、辛かったり、悔しかったり、そして、悲しかったり・・・

その人生は、波乱に満ちたものでした。

 

でも、それでも、やっぱり、わたしは、この人生が好きなのです。

そんな生き方しかできなかった自分が大好きなのです。

 

そんな人生しか生きられなかった、そんな自分が、大好きだ!

 

だって、これまでの様々な出来事に磨いていただいたお陰で、今わたしは、申し分のない人生を手に入れて、申し分のない日々を送っていられるのですから。

 

ところで、わたしが、父の死にまつわる様々なことに思いを馳せて、しみじみと泣いたのは、26歳で最初の結婚をして、ほんのひととき落ち着いた気持ちになった時でした。

その時初めて、思いきり悲しみに身を委ねて泣きました。

 

けれど、その結婚も、わたしにとっては、決して安住の地とはならなかったのです。

 

それは、まだずっと後のお話・・・

 

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投稿日時: 2015年08月13日

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7.生まれて初めての夢のお告げ

父が亡くなって10日後が私立の、1か月後が公立高校の入試日でした。

 

病院に泊まり込んでから葬式が終わるまで、約1週間学校を休んでいました。

わたしは、不安でした。

それでも、もし公立に落ちて私立に行くことになったら、一生懸命勉強して特待生になって、学費を免除してもらとうと本気で考えていました。

 

***

 

まさに今日が私立高校の入試日、という日の朝方のお話です。

 

わたしは夢を見ました。

 

亡くなったはずの父が、わたしに黄色いワンピースを買ってくれるという夢です。

 

わたしは、目が覚めた瞬間、

 

受かった

 

と思いました。

 

父がワンピースを買ってくれたからではありません。

特に黄色いワンピースが好きだったわけでもありません。

でも、夢から目覚めた瞬間、そう思ったのです。

 

これは、その後、夢から様々なメッセージを受け取るようになってから分かったことですが、夢からのメッセージというのは、理屈ではありません。起きた瞬間に、答が心の中にあります。

それが、夢からのメッセージです。

夢の意味をあれこれ考えなければならないのは、まずメッセージではありません。

 

話を元に戻しますね。

目覚めた瞬間に受かったと思ったわたしは、母に言いました。

 

わたし、受かったから。

 

母は、びっくりしたように、こう言いました。

 

何言ってるの?  これから試験を受けるのに…

 

同じ学校を受ける仲間と待ち合わせて会場に向かう時にも、わたしは皆に、

 

わたし、受かったから

 

と言い続けていました。

我に返ったのは、試験が終わって帰る時です。

 

どうしよう~  皆に「受かる、受かる」って言ってしまって。もし、落ちたら、どうしよう~

 

試験の結果は『合格』でした。

それも、本当に特待生になれるほどの高順位で。

通常、入試の結果の詳しいことは教えてもらえないことになっているらしいのですが、あまりの高順位に先生も驚いたようで、こっそり教えてくれました。

 

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投稿日時: 2015年08月6日

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