わたしは、中学3年生の時に、父を急な病で亡くしました。 連載中のプロフィールはこちら※※※
そして、その時に決めたことがあります。
それは、
命ある限りは、何があっても生きる。
ということ。
病気で、あるいは事故で、死にたくなくても死ななければならない人もいるのです。
だったら、生きてる限りは生きよう。
そう決めました。
もうひとつは、
あの時、お父さんが死んでしまったから、こんなふうになっちやったんだ!
という人生ではなく、
あの時、ああいう経験をしたおかげで今がある。
と、思える生き方をしよう。
ということです。
どちらも、理屈ではありません。
ふいに、そう思い決めたのです。
それが、“ 気づき ” というものなのでしょう。
その後も、数々の出来事がわたしの人生に起きました。
けれど、どんなに絶望的になったときでも、このふたつの考え方が、わたしを支えてくれました。
***
人生には、色々なことが起こります。
けれど、出来事は、所詮出来事。
単なる事実に過ぎません。
辛かったり悲しかったりしたとしても、それがイコール “ 悪いこと ” にはなりません。
ある出来事が自分の身に起きた時、それを踏まえてどう生きるかは、本人の自由です。
起こる出来事の選択権はなくても、生き方の選択権は、この手の内にあります。
父が亡くなった時、わたしは、神様から「この人生を生(行)きなさい」と言われたのでした。
けれど、その指し示された道をどう進むかは、わたしの自由。
道端の花を愛でながら行くもよし。
バイクに乗って飛ばすもよし。
ヒョコヒョコと横道へ逸れるのも、また有りです。
***
辛かったり悲しかったりした出来事であっても、それを栄養にできれは、それらは、結果として、自分にとって良い出来事になります。
つまり、人生の価値は自分で決めることができるのです。
それは、とりもなおさず、自分の価値は、自分で決めることができるということでもあります。
投稿日時: 2015年08月3日
カテゴリ: ブログ
病院の先生と相談をして、母の出した結論は、
父に告知しない
癌センターには入れない
会社の持っている病院で、今でいうターミナルケア(終末期医療、終末期看護)を行う
というものでした。
この是非を、今ここで問う気はありません。
そんなこと、意味のないことです。
***
父が会社の病院に入院をしてから、母が月曜日から金曜日まで、病院に泊まり込んで看護。土曜日と日曜日は、母を休ませるために姉とわたしが交替で病室に。という生活になりました。
母が病院に泊まり込んでいる間、家のことは姉とやりました。
朝は、自分でお弁当を作って中学に通い、帰ってくると、姉と一緒に夕飯を作って食べました。
そして、週末は姉と交代で病室で過ごしました。
こんなことを言うと、人はなんと思うでしょうか?
わたしは、病院に行くのが嫌でたまりませんでした。
余命幾ばくもないと分かっている父と、病室で二人きりになるのが嫌でたまりませんでした。
父のことを嫌いだったわけではありません。
でも、それまで仕事人間でまともに会話したこともないのに、突然病室で二人きりになっても、どうしていいのか分からなかったのです。
わたしは、受験生でした。
私立に行かせるお金はないから公立に絶対に受かりなさい。と、母に言い渡された受験生でした。
けれど、病室で勉強する気にはなれなかったわたしは、日がな一日、本を読んだり、カセットを聞きながら過ごしました。
今ごろ、みんながんばって勉強しているんだろうな。
そう思うと焦る気持ちが湧いてきます。病室にいるのがもったいないとさえ思いました。
また、もう一つ、病室に居たくない理由がありました。
それは、わたしが行くと、父がとても嬉しそうに笑顔を見せることでした。
わたしの父に対する印象をひとことで言うなら、
『威厳の塊』
仕事人間の父の笑顔など、それまで一度も見たことがありません。
それが、嬉しそうな笑顔を見せながら、痛む体を一生懸命わたしの方に向けるのです。
いたたまれませんでした。そんな父の姿は見たくありませんでした。いつでも、堂々と自信に満ち溢れた父しか見たくなかったのです。そんな弱った姿の父を受け止めるだけの器を、15歳のわたしは、まだ持ち合わせていませんでした。
もし、わたしが女優で、今ここで泣かなければならないとしたら、即座にわたしはこの時の様子を思い浮かべるでしょう。そうすれば、わたしは即座に涙をこぼすことができます。そして、それは、わたしの中で深い後悔として、今も心に残っています。
投稿日時: 2015年07月24日
カテゴリ: ブログ
≪ 言靈ワークショップ ≫ に参加された方々の感想
(2014年秋から2015年7月までの間に参加された方々の分)
*エネルギーに帰るのってびっくり。自分の名前の通りに生きます。
*50音一つひとつのパワー。名前に秘められたパワー。今後、文字がエネルギーに見えてきそうです。
*大変面白かったです。
*素晴らしく楽しい時間でした。言葉は命と思って子育てをしていたころが懐かしいです。もう一度、言葉や音の持つエネルギーをよく感じ取り、素直にステキな音を発していきたいと思いました。もっと、色々学びたいですね。
*やっぱり、音にも色にも波動があることはわかっていましたが、実感しました!
*名前の音も見ていくのが楽しかったです。
*『あおうえい体操』は、エネルギー補給になる感じがしました。
*自分の名前のエネルギーを知ることができて、自分の良さを確認すること ができました。『あなたとわたしの紡ぐ物語』もやりたいです。
*言葉の持つエネルギーの奥深さを勉強できました。
*翻訳をしてみて、「なるほど!」「だからか!」のような気付きがおもし ろかったです。
*名前のイメージと翻訳を知ることができ、今後意識してみたいと思いま す。
*マントラも、なんとなく選んだカードの、まさに“今”の自分とマッチして いて驚きました。
*日本語の歴史から、漢字→カタカナ→ひらがなまで、流れが分かって賢く なった気分です。
*ひらがなのエネルギーが分かって得した気持ちと、大きなツールを手に入 れられて嬉しいです。数秘と同じくらい活用したい。
*名前を付けるときの相談にのったり、ワークショップや屋号のアイデア出 しの講座も面白いかも。
*一番は、自分の名前を再認識したこと。
*漢字=中国であり、日本語の美しさはひらがな! ひらがなの良さを知ることができて嬉しかった。
*ちょっと久々に、前半授業を受けてる気分になりました。学ぶことって楽 しいですね。ゆみこさんの感じているひらがなの世界を、もっと教えてほし いなあ。
*言葉の良さ・意味などを興味を持って楽しく学べた。
*無意識に言葉の使い分けをしているということに気づいた。
*ゆみこさんの説明も話し方も、とっても明瞭でわかりやすく、終始楽しく 過ごせました。
*本当に楽しかった! それに尽きます。
*わたしの名前の響きの意味は、翻訳すると、「変化、進化を恐れず完成す る」。自分では、そんなふうに思ったことなかったけど、そんな面もあるのかな?
*自分で選んだこの名前。そんな自分でいたいと思います。
*家族や友達の名前をあてはめてみては、なるほど~と興味深かったです。
*内容はとても充実していて、且つ大変興味深く、面白かったです。
*「おとひめカード」を使ったワークでは、自分の気になるカードを引き、何を感じたのかを想像し、裏側を見て、感じたものと書いてある関連性を考察していく。僕はいくつかのキーワードを感じましたが、その中で「言葉にならない感動」というものがありました。
*カードには記載されてませんが、考えてみると「言葉にならない」程の時って「ああっ」「ええっ」「おおっ」等、「っ」が関連してませんか?
*素敵な先生や生徒さんと素敵な時間を過ごせましたヽ(´▽`)/
*言葉は言の葉。言靈には、力が宿る
*『言葉』には魂が宿っていると昔から信じていた私。言葉の力は良い面でも悪い面でもその力を味わってきました。ひらがなにひとつひとつに宿るエネルギーについて今回は学びましたが、とっても味わい深くて心地よいものでした。
*印象に残ったのは、『自分の名前は生まれる前から自分で決めてくる』というお話。私は息子の名前を結婚するずっと前に夢で受け取っていたので、息子は私を選んで『この名前をつけてくれ!!』とずいぶんと前から託してくれていたのだなぁ・・・と感動☆
*ひらがなのそれぞれの『行』にもそれぞれのエネルギーの特徴があって、それを色で表すのも面白そうだな。
*日頃何も氣にせず使っている日本語。その一語一語には深い意味が。目から鱗でした。大切にしたいと思いました。
*ゆみこ先生のご指導はとても解りやすくメッセージもたくさん頂きました。 また再受講したいワークショップです。
*おとひめカードがとても美しく、自分の名前や夫の名前に表される色がこんなに美しいのが嬉しい気持ちになりました。
*最初はまったく意味がわからなかったけど、進めていくうちに納得できて、思っていたよりも難しくなかった。なんだか楽しかった。これからは旦那さまと話す前にひといき入れてみようと思った。もうちょっと旦那さまに寄り添ってみようと思った。カードを実際触れて良かった。
*おとひめカード楽しかったです。子供へよく使う言葉、大事にします。
*『言霊』ありますよね!同じ音でも言い方、念、気、想いで変わったりするのかな…とも思います。音と色と波動、同じですね。楽しかったです。
*言葉も波動も光の集まりだということが印象的でした。おとひめカードもとても美しくて色々ながめたいなぁと思いました。ごとうゆみこ先生もとてもわかりやすく教えてくださり楽しかったです。