40過ぎの何の資格も特技もない女を、世間は必要としていない。
派遣社員として働き出してからも、ずっと心の隅にあった思い。
湯治場のような職場で、自分への自信を回復していっても、この思いはなかなか拭うことができませんでした。
出口のない迷路に迷い込んだような、悶々とした日々を過ごしていた、ある日。
こんな考えが、ふいに浮かんできました。
この世の中には、若ければいいという仕事ばかりだろうか?
ある程度の年齢の社会経験のある人間の方がいい仕事だってあるはずだ。
その時、思い出したのは離婚届を出しに行ったときの光景でした。
離婚届を役所に取りに行ったのは前夫、提出はわたしでということでした。
精神的にいっぱいいっぱいの中で提出に行ったので、日付も時間帯もよくは覚えていません。
ただ、その時窓口で対応してくださった方のことはよく覚えています。
年配の女性で、いたわるようなまなざしと口調が印象的な方でした。
もし、あの時窓口にいたのが若い女性で、
あ、離婚届ですね~
と軽く言われていたら、わたしはその場に卒倒して倒れていたかもしれません。
わたしは、あの時窓口にいた女性の対応に、本当に心慰められたのでした。
そうだ。
わたしにだって役に立てる場があるはずだ。
内側からチカラが湧いてくるようでした。
その後、派遣社員として1年経ったとき、わたしは派遣元の上司に、離婚して実家に居候していることや、正社員になって自立を目指していることなどを正直に話しました。
そして、こう頼んだのです。
きちんと身分を保証された正社員としてなら、日本全国どこでも行きます。
と。
幸か不幸か、子どもはおらず、可愛がっていた犬にも死なれていて、わたしはどこにでも一人で自由に行ける身でした。
わかりました。
就職先を探してみましょう。
上司はそう言って帰っていきました。
それから2~3週間経ったころでしょうか。
上司から連絡がありました。
就職先が見つかりそうですよ。
それは、かつて勤めていた損保が持っている財団でした。
前職が辞めたあと新卒を雇ったのですが、
とても務まりません
といって、すぐに辞めてしまったとのこと。
財団というのは、理事や評議員などにどれだけ、いわゆる名士を集められるかが重要です。
それが財団のステータスに繋がるからです。
その財団の役員も、一流企業の会長・社長から大学の名誉教授まで、そうそうたる顔ぶれでした。
新卒の女性は、その顔触れに恐れをなして辞めたのでした。
そこで、彼の財団では、『損保のOBで、なおかつ40歳前後の社会経験の豊富な女性』を探していたのでした。
ただし、職場は東京の新宿。
長野生まれ名古屋育ちのわたしにとって、東京で唯一土地勘があったのは新宿でした。
なぜなら前の仕事の出張で、年に数回東京に行っていて、その際の宿泊先は新宿が多かったのです。
行きます!
即答です。
まるで、わたしのために誂えられたかのような職場でした。
急遽、年末に面接のために上京。
そして、年が明けてから京都に一人で、一泊旅行に行きました。
名古屋に住んでいると、京都はすぐ目と鼻の先。
若いころから、友人と、あるいは一人でと、京都には何度も行っていました。
派遣社員としての生活も落ち着いてきたし、久しぶりに一人でのんびり行ってこようと、そもそも予定を入れていたのです。
面接の結果が氣になりながらも、京都へと向かいました。
その京都で、また不思議な体験をするのでした。
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投稿日時: 2016年05月9日
カテゴリ: ブログ