運よく、アフリカからの帰りの飛行機の中で観ることのできた『 ドリーム 』。
この映画の中で印象に残ったセリフがあります。
(正確ではありませんが、こんなやり取りでした)
白人の仕事仲間が、主人公の一人に
あなたを差別しているわけじゃない
と言うと、彼女はこうこたえます。
わかっているわ
あなたが氣がついていないことは
確か、こんな内容のやり取りでした。
生まれてからの環境は、本人にとっては当たり前のことです。
例えば、方言もそうですね。
生まれてからずっと使っている言葉は、日本全国共通のものだと思い込んでいます。
ところが、別の土地へ行くと通じない。
そこで初めて、自分が当たり前に使ってきた言葉が方言であったことを知る。
そんあ経験は、ありませんか?
生まれてからの環境と、所属する社会の規則。
実は、それが差別そのものであっても、その中にずっといる人間は、なかなか氣づかない。
知らないことの怖さは、そこにあります。
ところで、人種差別のような大きな問題には関心をもっても、身近にある多くの差別には氣づきにくいものです。
人間が人間としてこの世に生まれてきた以上、同じ人間としてみな平等のはずだし、そうでなければおかしいいと、わたしは思います。
わたしの考える平等というのは、少なくとも、すべての人が同じチャンスに恵まれることです。
わたしは中学3年生のときに父を病気で亡くしました。
そのために進路を少々変更し、短大も奨学金をもらって通いました。
(就職してから、3年くらいかかって返済しました)
例えば、親が亡くなりお金に余裕がなくなったからといって、上の学校に進みたいのにできないのはフェアじゃない。
わたしの思う最低限の平等というのは、そういうことです。
わたしはそう考えるから、子どもたちの教育援助には募金や寄付を、微力ながら続けています。
半分の人間が必死になって両手を出さなくても、全員が片手を出せばいいじゃない。
そんな感覚です。