わたしは、中学3年生の時に、父を急な病で亡くしました。 連載中のプロフィールはこちら※※※
そして、その時に決めたことがあります。
それは、
命ある限りは、何があっても生きる。
ということ。
病気で、あるいは事故で、死にたくなくても死ななければならない人もいるのです。
だったら、生きてる限りは生きよう。
そう決めました。
もうひとつは、
あの時、お父さんが死んでしまったから、こんなふうになっちやったんだ!
という人生ではなく、
あの時、ああいう経験をしたおかげで今がある。
と、思える生き方をしよう。
ということです。
どちらも、理屈ではありません。
ふいに、そう思い決めたのです。
それが、“ 気づき ” というものなのでしょう。
その後も、数々の出来事がわたしの人生に起きました。
けれど、どんなに絶望的になったときでも、このふたつの考え方が、わたしを支えてくれました。
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人生には、色々なことが起こります。
けれど、出来事は、所詮出来事。
単なる事実に過ぎません。
辛かったり悲しかったりしたとしても、それがイコール “ 悪いこと ” にはなりません。
ある出来事が自分の身に起きた時、それを踏まえてどう生きるかは、本人の自由です。
起こる出来事の選択権はなくても、生き方の選択権は、この手の内にあります。
父が亡くなった時、わたしは、神様から「この人生を生(行)きなさい」と言われたのでした。
けれど、その指し示された道をどう進むかは、わたしの自由。
道端の花を愛でながら行くもよし。
バイクに乗って飛ばすもよし。
ヒョコヒョコと横道へ逸れるのも、また有りです。
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辛かったり悲しかったりした出来事であっても、それを栄養にできれは、それらは、結果として、自分にとって良い出来事になります。
つまり、人生の価値は自分で決めることができるのです。
それは、とりもなおさず、自分の価値は、自分で決めることができるということでもあります。
投稿日時: 2015年08月3日
カテゴリ: ブログ