「姓」と「名」には、それぞれの働きがあります。
わかりやすく例えるなら、
です。
クジラが立派で、メダカが悪いのではありません。
クジラが小川のせせらぎの中では生きていけないように、
メダカも海では生きてはいけません。
それぞれが、それぞれに適した生き方をすることが、一番の幸せです。
それでは、わたしという人間は、どのような流れにいる、どんな魚なのでしょうか。
それを知るために、まずは「姓」のことだま翻訳をしてみます。
これが、「ごとう」という姓のことだま翻訳、
つまり、家系のエネルギーイメージです。
次に、その流れの中にいるわたしという魚について。
「ゆみこ」をことだま翻訳すると、こんなエネルギーイメージになります。
「こ」と「ご」では、エネルギーの流れが違ってくるので、翻訳も少し変わっています。
さて、ここで質問です。
全国の「ごとうゆみこ」さんは、みなさん同じような性格で、同じような人生を歩んでいるでしょうか?
違いますよね。
当たり前といえば、当たり前の話ですが、これをことだまという視点から説明してみます。
例えば、名前のことだま翻訳
これは、あくまでエネルギーイメージです。
どこから「湧きあがる」、どんな「本質」を、どういう形で「完成する」のか。
それは一人一人違います。
同じ人間であっても、置かれた環境や、年齢によっても変わってきます。
それでいいのです。
エネルギーは、抽象的なものです。
それを、己の人生の中で、どのような形で具体化するのかは、それぞれの人の自由です。
例えば、今のわたしは≪ あけと流ことだま講座≫というのを随時開催しています。
「ことば」の音から湧き上がる「ことだま」という本質を、講座という形で完成する。
これが、今のわたしのエネルギーを生かした生き方です。
そして、この生き方は、わたしの中で熟成してきた個性という流れの中でこそ、最も輝くのです。
それが生きるということだと、わたしは思います。
つまり、
なのですね。