親の期待の、その先は

知り合いの、そのまた知り合いのお話。

 

その人(彼女)の御主人は、医者になりたかったのだけれど、

訳あって、苦労して弁護士になったそうです。

 

そして、その息子さんは医学部を目指すも、なかなか合格せず。

 

それでも二浪して、どうにかこうにか入れる医学部があったそうです。

けれど、そこでも留年を重ね、国家試験にも未だ合格できず。

 

経済的には余裕があるので、彼の預金口座の残高が心もとなくなると、

母親は、黙ってお金を振り込んであげている。

 

とのこと。

 

 

それで思ったことです。

 

もし、息子さんが今年の国家試験に受かったとして、

親にしてみれば、息子が医者になれば、それでめでたしめでたしなのでしょう。

 

けれど、医者になった彼の先には、これから出会う大勢の患者さんがおられるわけです。

 

彼は、そんな様々な事情を抱えた患者さんたちに寄り添う医者になれるのか。

 

 

なれない

 

 

と言い切ることはできません。

 

 

彼が、それまでの経験を糧として成長できれば、あるいはなれるでしょう。

 

それより何より、

 

彼は本当に医者になりたいのか。

 

そちらの方が大事です。

 

小さい頃から、親の期待を背負わされ、

 

自分は医者になるべきだ、

ならなければならない

 

そんな思い込みの中で生きてきたとすれば、そんな残酷な話はありません。

 

 

こども

 

 

子供

 

ではなく、

 

子ども

 

です。

 

 

子どもは、親の『(お)供』では、決してありません。

 

 

親として、子どもに期待してしまう。

 

というのは、あるでしょう。

 

けれど、どこかで氣がついて、その期待を良い形で手放すことができればいいなぁ。

 

わたしは、そう思います。

 

 

それにしても、親の期待は重くて切ない。

 

 

 

古いノート

昔書いた作品のいくつかを、みなさんに今年一年かけてご紹介していこうと決めたら、

仮住まい先へ持ってきた仕事用の荷物の中から、こんなノートが出てきました。

 

20年くらい前に、初めて時代物を書こうとしたときに作った、資料用ノートです。

 

表紙にも和柄の布シールなんて張ったり、

書くにあたっての心構えみたいなものまで書いたりして

氣合が入っています。

 

 

このノートはマルマンのPHILOSOPHOSです。

 

A4サイズで、紙の色は真っ白ではなく、少しクリームがかっています。

 

実はわたし、真っ白いページが苦手。

 

手帳もノートも、ページが少し黄みがかったような、レトロな感じのものが好きです。

 

 

中は横罫ですが、うっすらと縦罫も入っていて、とても使いやすい。

 

表紙の色も氣に入ってます。

 

 

ところが! これ、もう廃版になっているそうです。

 

二度と手に入らない…

 

大事に使わなければ。

 

 

中には、資料で調べた江戸時代の基本的なことから新聞の切り抜きまで、色々載っています。

 

 

 

そういえば、上京したての頃、古地図を手に上野から浅草あたりを歩いたり、

両国や深川にある江戸資料館によく行きましたっけ。

 

 

 

そして、ページをめくっていくと、最後のページに、こんな記述が。

 

自分の言いたいことを言う。

自分のやりたいことをする。

こんなことを言ったら叱られるんじゃないか

こんなことをしたら嫌な顔をされるんじゃないか

そんなことを思い煩って

ぐるぐる回り道をしたり

くねくね曲がりくねったり

そんなんじゃなくて

もっと自分の望むことと行いを

一本の線で素直につなげたい。

 

 

この当時の自分の状況を考えると、

 

 

こうありたい

 

 

という、自分への言い聞かせのようなものでしょうか。

 

 

こんなノートを見つけてしまったので、

まずは初めて書いた時代物を、新ためて手を加えながらご紹介してこうと思います。

作品の紹介

来月から、少なくとも今年一年間をかけて、

これまでわたしが同人誌や個人誌などで発表した作品のいくつかに新たに手を入れ、

連載形式でご紹介していこうと思います。

 

どうぞ、よろしくお願いいたします。