おまえ、泣かなかったな
中学校の卒業式で、担任の先生から言われた言葉です。
そうです。
わたしは、卒業式で泣きませんでした。
卒業式だけではなく、
父が癌で余命わずかと聞いた時も
父が病室で息を引き取った時も
お葬式の時も
わたしは、一度も泣きませんでした。
わたしは、なんて薄情な娘なんだろう。
泣かない自分を、冷ややかに見ている別の自分がいました。
でも、わたしは、泣かなかったのではありません。
泣けなかったのです。
泣くだけの、心の余裕がありませんでした。
次から次へと課題がやってきて、それをこなすのに必死だったわたしに、泣いている暇はありませんでした。
受け止めるのが怖かったのでもありました。
あまりに大きすぎて、受け止めたら、自分がつぶれてしまいそうで、逃げてもいたのです。
実は、わたしは仲のいいクラスメートにも、父のことは一言も話しませんでした。
だって、学校に行って、友人に「お父さんの具合は、どう?」なんて、聞かれたら、その場で崩れてしまいそうだったもの。
だから、わたしは学校にいる間だけは、心の重荷を忘れることができました。
そうして、なんとか自分を保っていられたのです。
今、わたしは、こう思います。
泣いている暇がなかったからこそ、今の自分があるのだと。
もし泣いて、悲しみにすっぽりとはまってしまっていたなら、わたしの人生はまた違ったものになっていたでしょう。
わたしは、まもなく57歳になります。
そうして、今、自分の人生をふりかえって見た時に、
あの時、ああすれば良かったか?
こうすれば良かったか?
と、考えてみたりもします。
でも、わたしは、やっぱりこの生き方しかできなかったと思うのです。
ものすごく苦しかったり、辛かったり、悔しかったり、そして、悲しかったり・・・
その人生は、波乱に満ちたものでした。
でも、それでも、やっぱり、わたしは、この人生が好きなのです。
そんな生き方しかできなかった自分が大好きなのです。
そんな人生しか生きられなかった、そんな自分が、大好きだ!
だって、これまでの様々な出来事に磨いていただいたお陰で、今わたしは、申し分のない人生を手に入れて、申し分のない日々を送っていられるのですから。
ところで、わたしが、父の死にまつわる様々なことに思いを馳せて、しみじみと泣いたのは、26歳で最初の結婚をして、ほんのひととき落ち着いた気持ちになった時でした。
その時初めて、思いきり悲しみに身を委ねて泣きました。
けれど、その結婚も、わたしにとっては、決して安住の地とはならなかったのです。
それは、まだずっと後のお話・・・
投稿日時: 2015年08月13日
カテゴリ: ブログ