先日、友人の色鉛筆画が入選したというので、新国立美術館で開催されている日美展に行ってきました。
彼女は全くの独学で色鉛筆画を描き始め、展覧会に応募するたびに入選しています。
今回は、初めて色鉛筆画からも大賞が出たということでした。
これまで、色鉛筆画の大賞作品が出なかったのは、油絵や日本画などに比べると少し迫力に欠けるからかと、
勝手に想像していました。
ところが、今回はは大賞作品が出たのです。それがどんな作品なのかにも興味津々でした。
友人の作品は得意の人物画で、いつもながらの素晴らしい出来栄えでした。
彼女の描く花の絵も好きですが、本人は人物を描くのが好きなようです。
そして大賞作品は、苔むした石段を描いたもの。
(写真はありません)
石段は苔の緑に覆われています。
石段を取り囲む草むらも、やはり緑。
キャンパス一面緑色なのですが、みんな違う緑。
それぞれの緑が、それぞれの美しさ・爽やかさで輝いています。
日の光の当たり具合もよく描けているし、この作品、わたしは好きです。
例えば、同じ小説でも推理小説と時代小説、どちらが優れているかなんて決めることはできません。
それと同じで彼女の作品と大賞作品、同じ色鉛筆画でも、扱っている題材も描き方も違うので、
単純に比較することはできません。
それにわたしには、それほど絵の知識がないので、技術的にどうとかという話はできません。
今回の結果は、こうだった。
と思うしかないのかなと。
彼女から来たのメールには、こう書かれていました。
その作品のよさ、今一つわからず・・・
(中略)
色鉛筆画を十分に評価してくれる展覧会とは思いますが、自分の作品は客観的に見れないものなのでしょうか。
わたしは小説家を目指していましたが、自分の作品を100%客観的に見ることなんてできませんでした。
書き上げた時は、
すごい傑作が書けた!
こんな作品、この先もう書けないんじゃないか。
わたしって、すごいかも
なんて、書き上げた興奮冷めやらないなかで思ったりするのですが、
時間が経って読み返してみると赤面ものです。
いえ、それ以前に、もう恥ずかしくて読み返す勇気すら、なかなか持てない。
そんなことの繰り返しでした。
でも、それでいいんじゃないかと思います。
書き上げた時は自惚れて、自惚れるから応募する勇気が持てるのです。
そして、時間の助けを借りて作品を客観視できるようになるからこそ、
「今度こそ、いい作品を書くぞ」という新たなエネルギーも湧いてくるのです。
わたしは、そう思います。
という言葉があるように、続けていけることが何より大切なのだと思います。
わたしはもうほとんど小説を書くことはなくなりましたが、
彼女にはずっと色鉛筆画を描き続けていって欲しいと、一ファンとして、切に願います。