先日、紅子さんのセラピストサポート卒業ランチ会がありました。
セラピストサポートについては、紅子さんのブログを見ていただくとして…
午前中はカフェで、今年前半の振り返りから後半へ向けての思いや考えや互いにシェアしたのですが、
一人が話すと他のメンバーが、自分なりの思いや考えを口々に発する。
そこに宿る真剣さや優しさが心に染みます。
いいメンバーに恵まれたと、しみじみ感じる瞬間でした。
そして午後は、場所を変えてのランチタイム。
女子会よろしく、あれこれとお互いに聞きあったり、話し合ったり…
一日置いて今度は、塩ねえが主宰する氣学の学習メンバーが集まっての暑気払い。
これまで興味なあっても、まともに訪れることのなかった北千住。
商店街を抜けた先にある大衆居酒屋が宴会場?です。
こちらの様子もまた、参加者である香緒利さんのブログを参照していただくとして…
人のブログを読めとは、手抜き感ハンパない?
いえいえ、今日わたしが書きたいのは、みんなで集まって楽しかったというお話ではないのです。
今日書きたいのは、そこに集まったメンバーのことなのです。
わたしは子どもの頃から人づきあいが苦手でした。
たぶん、人との距離の取り方が下手だったのでしょう。
はた目には明るくて誰とでも仲良くできる子どもに見えていたかもしれません。
けれど、心の中では結構葛藤がありました。
そんなわけでいつしか、広くて浅い付き合いより、狭くて深い付き合いを好むようになりました。
また、父が亡くなったり、結婚したり、離婚したり、失業したり、再就職したりで
引っ越しをするたびに周りの人間関係がガラリと変わり…
新たな人間関係を作ることも、そんな性格上面倒くさくもありました。
なのに・・・
いったいいつの間にわたしの周りには、こんなにも暖かくて豊かな人間関係の輪ができていたのでしょう?
暑気払いを終えて帰る電車の中で、ふとそんなことに氣づかされ、
一人涙がこぼれるのを抑えることができませんでした。
わたしにも、こんな仲間ができるんだ。
人間関係というのは不思議なものですね。
作ろうと思って作ってもうまくいくとは限りません。
意図的に作った人間関係は、意外なもろさをはらんでいます。
でも、自分を見せて、相手を見せられていく中で、いつしか分かり合える者同士、
居心地のいい関係性ができている。
それは決して、頻度や密着度の濃さの問題ではありません。
とても緩やかだけども、底辺に信頼という確かな流れがある。
自分が自分らしくいられて、それを当たり前のこととして受け入れ・受け入れられる。
わたしは生きてきて良かったと思います。
わたしは、わたしであって良かったと思います。
このわたしが手にした人間関係だからこそ、わたしにとって居心地がいいのだから。