ことば学
言葉は心。ことばは人生

実家でしみじみ

たいそう久しぶりに、名古屋の実家に来ました。

 

新聞記者だった父と同じ道を歩んだ姉が、今年めでたく定年退職を迎え、昨夜は少し酔った姉と色々な話をしました。

 

 

父が亡くなった45歳という年齢を迎える前は、少し恐ろしいような気分であったこと。

45歳になったとき、まだまだ迷ったり悩んだりしている自分に氣づき、あの自信に満ちたように見えていた父も、実はこんな感じだったのかと愕然としたこと。

越えてみたら、トントンと歳を重ねていってしまったこと。

 

 

 

姉が退職するとき、職場の方々が入れ替わり立ち替わり送別会を開いてくださったそうです。

ですが、姉の思い出話というよりは、父の足跡を、みなさん調べてくださったようです。

 

そんな中に、こんな話がありました。

 

父は30台後半の頃、大学の先生方と協力して、新聞の連載小説を書いていたことがあります。

そのあとがきのようなものが見つかり、そこには父のこんな記述があったそうです。

 

 

文章を書くのに必死で、子どもの相手もままならないこともあった。

 

 

父が、そんな風に思っていたとは…

 

わたしの記憶の中の父は、休みの日でも、机に向かって原稿を書いていました。

あれは、もしかしたら連載小説だったのでしょうか?

 

 

そんな思い出話の数々をしたあと、姉がポツリと言いました。

 

お父さんも、(定年まできちんと勤め上げた自分のことを)少しは認めてくれるかな。

 

驚きました。

 

わたし自身は、親に認めてもらうという発想を持ったことがありません。

要領のいい末っ子として、わりと誉められて育ったからかもしれません。

父と同じ道を進んだ姉には、姉なりの複雑な思いがあったのでしょう。

 

 

『父の死』という事実は家族共通のものですが、それぞれがそれぞれの受け止め方をし、それぞれの思いの中で生きてきたのだと、しみじみ思った夜でした。

 

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姉が最近仲間とやっている畑。

昔は花すら育てことがなかったのに…

人は変化する動物だ~

 

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投稿日時: 2016年10月3日

カテゴリ: ブログ