ことば学
言葉は心。ことばは人生

今は、泣ける

父が亡くなったとき、母も姉もその体に縋り付いて号泣していたけど、わたしは泣けなかった。

彼らと自分の間に薄いベールのようなものがあり、空間が隔てられているような感じがして、涙ひとつ流さず一人ぽつねんと立っていた。

葬式の日にも、やはり泣けなかった。

わたしの中には、その後の人生の重みというものが大きくのしかかっていて、泣くのが怖かったのだ。

泣いてしまったら、そこから崩れて行ってしまいそうで。

泣いてしまったら、もうそこから頑張れなくなりそうで。

怖かった…

 

 

わたしが父の死を思ってしみじみ泣いたのは、最初の結婚をしてしばらく経った頃だ。

そのとき、初めてわたしは泣いた。

思い切り泣いた。

声を出して泣いた。

 

 

今、わたしはことあるごとに泣く。

夫と喧嘩して泣くこともあるし、お風呂や布団の中で、勝手になにかを思い詰めて、悲劇のヒロインよろしくおいおい泣いてみたり。

 

 

わたしは知ったのだ。

いくら泣いても、人間は崩れたりはしないということを。

むしろ泣いた方がすっきりとして、活力が湧いてくるのだということを。

 

だから、今わたしはなにかにつけて、安心して泣いている。

 

 

94dd097eeddd2c51e9f1c96e9d15edbb_s

投稿日時: 2016年07月23日

カテゴリ: ブログ