過日、離婚を思いとどまる理由の一つとして、「子どものため」というのがあると書きました。
子どものいないわたしが、子どもがいる人の離婚について語るのはいかがなものかと思う気持ちもありますが、
勇気を出して書いてみたいと思います。
これは実際にわたしの身近で起きた本当の出来事です。
わたしが離婚を決めるより数年前に、そのころ親しくしていた友人が、
幼子二人を連れて家を出るということがありました。
彼女の決意を聞いて、その頃はまだ『離婚』の二文字が頭の中になかったわたしですが、
自分にできることは何でもして、彼女の決意を応援しようと思いました。
けれど結局、彼女は離婚はせずに家に戻ることにしました。
子どものため
というのが、そのとき彼女が言った、元の鞘に収まる理由でした。
離婚を決める理由も、思いとどまる理由も、人それぞれ。
そのことに何も言うつもりはありません。
いつだって、その人の人生の主役は、その人自身です。
けれど、彼女が続けて言った言葉に、わたしは愕然としました。
あとは、向こう(夫)が早く死ぬのを待つだけだ
この言葉は、後々わたしが離婚を決めるときにも大きな意味を持った言葉です。
数年前、彼女も含め親しくしていたメンバーで集まる機会がありました。
その時に彼女本人から聞いた話です。
現在、彼女のご主人は心を病んで、数種類の薬をビールで流し飲む生活だとか。
夫婦の間に会話はなく、今回のように彼女が家を空けるときも冷蔵庫に伝言メモを貼ってくるだけだそうです。
これが、かつて彼女の望んだ生活・人生だったのでしょうか。
確かに、向こう(夫)は死にました。
ただ死んだのは体ではなく、心の方でした。
子どもがいれば離婚を躊躇するのは、母親として当然の気持ちでしょう。
子どものために離婚を思いとどまるという選択も、もちろんあるでしょう。
けれど、彼女は「子どものため」と言いながら、彼らの父親である夫の死を望んだのです。
先ほども書きましたように、いつだってその人の人生の主役は、その人自身です。
だから一番大切なのは、自分がどうしたいかです。
自分が笑顔で過ごすためには、どういう状態が最も望ましいのか。
そして、それでもし離婚を決めたのなら、子どもに対しても堂々と胸を張って、
そういう選択をした自分の生きざまを見せればいいのではないでしょうか。
それしかありません。
自分の人生に責任を持つとは、そういうことです。
自分の人生に起きたこと、起こしたことを、引き受けて生きていく。
人生って、きっとそういうものなんだと思います。