『 違い 』と『 差 』

わたしは、26歳の時に最初の結婚をし、39歳で離婚しました。

この13年間の結婚生活を長いと見るか短いと見るかは、人それぞれでしょう。

けれど、後ろを振り向かず、新たな人生を開拓していく覚悟を決めるため、わたしにはこれだけの年月が必要だったのだと思います。

 

*****

 

この世には、単純に分けると『男』と『女』がいます。

『男』と『女』は、脳や体の構造(筋肉の付き方とか子宮があるとかないとか)に違いがあります。

違いから来る役割の違いもあります。

 

例えば、妊娠・出産は『女』にしかできないとか、重たいものを持ったりするのは、どちらかといえば『男』の方が向いているとか…

 

けれど、それらは、あくまで『違い』であって、『差』ではないと、わたしは思うのです。

 

重い物を持ち上げることのできる男の方が、持ち上げられない女より優秀なわけではありません。

 

同様に、出産をできる女の方が偉くて、出産できない男が劣っているわけではありません。

それらは、単に『違い』であって、『差』ではありません。

 

『違い』と『差』。

ここを、履き違えると、悲劇です。

 

『違い』は『区別』に繋がりますが、『差』は『差別』に繋がります。

 

今、振り返ってみると、前の夫は、『違い』を『差』と捉える傾向が強かったように思います。

 

※その辺りのことは、今後連載プロフィールの方で、じっくり書いていく予定です。

 

*****

 

『違い』と『差』。

 

人間一人ひとりも同じです。

勉強が得意な人間が、不得手な人間より偉いわけではありません。

足の早い人間が、遅い人間より立派なわけではありません。

それらは、『違い』。

これを言い換えると『個性』になります。

 

それぞれに個性があるわけですから、その個性を活かすための『区別』は必要です。

 

けれど、それが『差別』に繋がらないよう、心していきたいものです。

苦しみの渦中にいるときは

わたしは、おせっかいです。

悩んでいる人や、苦しんでいる人を見ると、励ましたり、慰めたり、なにかアドバイスをしたくなってしまうのです。

でも、以前、紅子さんのセッションを受けたときに、こう言われました。

 

     紅子さんのセッションについては、こちらをご覧ください。

 

このセッション、メインは自分を守ってくれている存在(それを『チーム』と言い、わたしの場合は『チームゆみこ』です)と仲良くなって、いつでもアドバイスを受けられるようになるという楽しいセッションです。

紅子さん自体が楽しい人だから、余計に楽しいんです。

それで、そのときに言われたんです。

 

ゆみこさんは光の存在だから。

何にでも光を当てようとしてしまう。

でも、今はまだ日陰にいたい人もいる。

そのことを忘れないで。

それから、光って真っ直ぐ進むでしょ。

ゆみこさんも、そう。

真っ直ぐ進んでばかりでは、ダメなときもある。

 

結構、心に刺さりました。

思い当たるところがあったから。

だって、わたしおせっかいだから・・・

 

日陰にいるより、光の当たるところにいた方がいいじゃん、楽しいじゃ~ん

 

って、素直に単純に信じている能天気なところがあるんです。

 だけど、

 

いつかは、光の元に出ていきたいけど、今しばらくは日陰にいさせて欲しい

 

って思っている人も、確かにいる。

そして、真っ直ぐ過ぎて、ぶち当たってポキッってなったことも、また確かにある。

 

そうだよね。

気をつけないとね。

 

気づかせてくれて、ありがとう。紅子さん。

 

     わたしのセッションの様子はこちらをご覧ください。

 

でもね、でもさ、ね、ね、ね・・・

 

わたしは、来月57歳になります。

60年近く生きてきて、本当にこれといった悩みもなく、平和に暮らしていたなと思うのは、生まれてから父が癌と分かるまでの15年弱と、49歳で今の夫と再婚してから今日までの約9年。

なんと、60年のうちのたった24年!!

今さらながら、ちょっと驚きました。

 

      わたしのこれまでの人生、連載中です!

 

でも、今の平和は死ぬまで続くからね♡

そんな人生経験を踏まえて言えるのは、

 

今、苦しみの渦中にいるとしても、いつか必ず「あんなときもあったね」って、笑える日が来る

 

ということ。

ただし、笑える日が来てほしいと願えばの話だけど。

 

あんなに苦しかった出来事を、笑い話なんかに変えてたまるか

 

と思っていたら別の話。

でも、来るんだよ。笑える日が。

 

これもまた、よく人に言うことですが・・・

わたし、今の夫と再婚したとき、夫にこう言ったんです。

 

わたしたちは苦労の前払いをしたから、これから先は幸せしか来ないよ

 

そんな風に考える方が、楽しくないですか?

そんな風に信じる方が、楽しくないですか?

そんな風に生きる方が、楽しくないですか?

 

どう考えようと、何を信じようと、どこに向かって生きようと、それは本人自由。

でも、どうせなら、少しでも楽しいほうを選びましょうよ!

先人たちの苦労の跡

地方に旅行に行った際、中途半端に時間が余った時など、わたしは地元の文学館に行きます。

そうした所には、たいてい地元出身の作家の生原稿が展示されています。

 

そして、それらを見ると、わたしから見たら「この人は天才だ!」と思える作家であっても赤だらけ、つまり、いっぱい推敲していることがよく分かります。

そんな推敲の跡が残っている原稿を見ると、なんかジワーっと感動します。

 

***

 

昨今は、わたしもそうですが、みんなパソコンで書いて直すので、原稿を直した苦労の跡を見ることができません。

 

そもそも生原稿の展示なんて、できないし・・・

 

それって、もったいないなぁ~と思います。

 

誰のどんな原稿であっても、それを書こうと思った経緯や思いがあり、それを形にするための涙ぐましい努力があります。

 

文学館の生原稿の展示は、それを目の当たりにする、いい機会なんですけどね。

 

ふと思いついて、ひょいと書いて、はい完成! なんて、どんな世界でもまずあり得ない。

 

ふと思いついて、ひょいと書いて、そして完成させるまでの間には、推敲という地味だけど、なくてはならない作業があるのです。

 

その作業は、時に苦しいけれど、新たな創造を生み出す喜びに満ちています。