連載小説『お由布』 その一

   一.

 

 下谷池之端。辺りには寺院が数多くあり、その作庭や手入れをする庭師もまた、多数住んでいた。

 お由布の父、由吉もそんな庭師の一人であった。庭師としての腕も良く、仕事も早い由吉は、近隣だけでなく浅草の寺院や両国の料理茶屋にまで、仕事先は広がっていた。両国あたりの料理茶屋では、肝心の料理はもとより座敷や庭の造作までも売り物にしているところが多くあり、そのうちの何件かが由吉の得意先となっていたからである。

 十二月の声を聞くと、俄然仕事が忙しくなる。どこも綺麗に手入れされた庭で正月を迎えたいと望むからだ。冬の日は短い。いくら仕事が早いとはいえ、それなりに広い庭であり、注文もうるさい。大切な得意先の仕事に手抜きは禁物とばかり精を出していると、あっという間に日が暮れる。勢い仕事に出かける時間が日に日に早くなる。冬の厳しい冷え込みの中、毎日それこそ休む間もなく由吉は庭の手入れに回って歩いた。

 

 ようやく六つになった一人娘のお由布が、最近とみに愛らしさを増してきた。晴れ着を新調してやるのは無理にしても、何か一つくらい新しいものを身に付けて、新年を迎えさせてやりたいと思う。そのために少々の無理を重ねるくらい、由吉にとってはなんでもないことだった。

 その日、お由布はいつもよりずっと早く目が覚めた

「おとっつぁん」

 寝ぼけ眼で声を掛けると、今まさに仕事に出かけようとしていた父が嬉しそうに振り返った。

「おう、お由布、起きたか。仕事納めの日にちゃんと早起きして見送ってくれるなんざ、おめえは優しいな。今日は浅草まで行くから、土産に赤い玉簪を買ってきてやるぞ。正月に髪に飾るといいや」

 簪と聞いて思わずお由布は、父の側に走り寄った。

「赤い玉簪? わあ、うれしい。きっと、きっとだよ。ねえ、きっとだよ。約束だよ」

 いつまでも父にまとわりついて離れないお由布を、

「お由布、おとっつぁん仕事に行けないだろ。ほら、こっちにおいで」

と、母が笑いながら引き寄せた。

「ああ、きっと。約束だ。楽しみに待ってるんだぜ。じゃあ、行ってくるからな」

 由吉がお由布の頭をぽんぽんと軽く叩きながら、優しく笑った。そうして、道具箱を右の肩にひょいと担ぐと「じゃあな」と言って、出かけていった。

 母と見送った、父の笑顔と大きな背中。

 十二月二十五日の仕事納めの朝だった。今日は久しぶりに暖かくなりそうな、そんな一日の始まりだった。

 母は、先日古着屋で買ってきた着物を丁寧にときほぐして、洗い張りにした。お由布の正月用の晴れ着に仕立て直すつもりなのだ。うまくいけば今日のうちに乾くだろう。その間にと、母は父の仕事着の繕いを始めた。お由布は側で手習いのおさらいをしていた。正月五日の書初めで、また先生に褒めてもらいたかった。

「ぁ」

 小さな声に目を上げると、母が指を口にくわえていた。針を刺したらしい。裁縫の上手な母にしては珍しいことだった。

「おー、嫌だ嫌だ。折角の着物が汚れちまう」

 母が、流しの方へ行こうとしたその時、突然叩きつけるように扉が開いて、一人の男が転がり込んできた。男は、向かいに住んでいる大工見習いの源七だった。

「た、大変だ」

 息も切れ切れの源七の顔が涙でくしゃくしゃに歪んでいる。

「い、いきなり飛び込んできて、何だって言うのさ」

 ただならぬ源七の様子に、母の顔から血の気が引いていた。

「由吉さんが、由吉さんが……」

 後は声にならない。その場にしゃがみこんで泣くばかり。

「え、なんだって、うちの人がどうしたっていうんだい」

 母が聞きただそうと源七の方へ行きかけると、表から大勢の乱れた足音が聞こえてきた。足音は近づいて来て、そしてお由布の家の前で止まった。憔悴しきった大工の親方と、その後ろには数人の手によって担がれた戸板が見えた。

 その日、由吉は浅草の寺で仕事をしていた。源七もまた、親方とともに同じ寺に修繕の仕事に来ていた。お互いに「朝早くから大変だね」と笑顔で挨拶を交わし、由吉は道具箱の前にしゃがみこんで必要な道具を取り出し立ち上がろうとした刹那、突然うめき声をあげて胸のあたりを押さえたかと思うと、その場に突っ伏した。驚いて駆け寄ると、小さく体が震え、そして動かなくなったのだという。

「帰りに、お由布ちゃんに赤い玉簪を買って帰るんだって、嬉しそうに話していたんだよう」

 言うなり、また源七は泣き崩れた。

「そんな、ばかな。うちの人に限ってそんな、ばかな、ばかな…」

 母は、ずっと同じ言葉を繰り返していた。

「おとっつぁん、どうしたんだい」

 布団に横たわる父の顔には、白い布がかけられている。声を掛けてみても、返事はない。

「おとっつぁん、簪は。赤い玉簪、買ってきてくれたかい。どこにあるんだい。お由布の簪」

 父の身体に触れると、その冷たさに驚き傍らの母にしがみつく。

「お由布。おとっつぁんは、もう簪を買っては来れないんだよ。いいかい、分かったかい。しっかりおし」

 母が、お由布を強く抱きしめた。

 年末の押し詰まった頃だというのに、長屋の住人は嫌な顔一つせずに、葬式を手伝ってくれた。

 大晦日から降り出した雪は、元日には辺り一面を白く埋めていた。それでもなお、雪は音もなく、静かに降り続けた。

 お由布の晴れ着は、ついに仕上げられることはなかった。そして、赤い玉簪もまた、お由布の髪を飾ることはなかった。

 家の前の軒下にうずくまって、お由布は白い息を吐いた。外の雪景色は、確かにお由布を凍えさせた。しかし、家の中はそれよりもっと冷たい空気に満たされていた。葬式が済んでから寝込んだ母は、今もまだ布団の中にいた。

 

 

  つづく

小説の連載を始めます

 

来週から、小説の連載を始めます。

 

とりあえずは、かつて書いた作品に、新たに手を入れたものを連載形式で載せていきます。

 

掲載は、週に一回の更新予定です。

 

 

以前書きあげたものとはいえ、改めて読み直して、手を入れて作り直すのは大変で、けれど何より楽しい作業です。

 

 

どうぞ、よろしくお願いいたします。

 

古いノート

昔書いた作品のいくつかを、みなさんに今年一年かけてご紹介していこうと決めたら、

仮住まい先へ持ってきた仕事用の荷物の中から、こんなノートが出てきました。

 

20年くらい前に、初めて時代物を書こうとしたときに作った、資料用ノートです。

 

表紙にも和柄の布シールなんて張ったり、

書くにあたっての心構えみたいなものまで書いたりして

氣合が入っています。

 

 

このノートはマルマンのPHILOSOPHOSです。

 

A4サイズで、紙の色は真っ白ではなく、少しクリームがかっています。

 

実はわたし、真っ白いページが苦手。

 

手帳もノートも、ページが少し黄みがかったような、レトロな感じのものが好きです。

 

 

中は横罫ですが、うっすらと縦罫も入っていて、とても使いやすい。

 

表紙の色も氣に入ってます。

 

 

ところが! これ、もう廃版になっているそうです。

 

二度と手に入らない…

 

大事に使わなければ。

 

 

中には、資料で調べた江戸時代の基本的なことから新聞の切り抜きまで、色々載っています。

 

 

 

そういえば、上京したての頃、古地図を手に上野から浅草あたりを歩いたり、

両国や深川にある江戸資料館によく行きましたっけ。

 

 

 

そして、ページをめくっていくと、最後のページに、こんな記述が。

 

自分の言いたいことを言う。

自分のやりたいことをする。

こんなことを言ったら叱られるんじゃないか

こんなことをしたら嫌な顔をされるんじゃないか

そんなことを思い煩って

ぐるぐる回り道をしたり

くねくね曲がりくねったり

そんなんじゃなくて

もっと自分の望むことと行いを

一本の線で素直につなげたい。

 

 

この当時の自分の状況を考えると、

 

 

こうありたい

 

 

という、自分への言い聞かせのようなものでしょうか。

 

 

こんなノートを見つけてしまったので、

まずは初めて書いた時代物を、新ためて手を加えながらご紹介してこうと思います。