自分で確かめる

その昔、とある作品を仕上げるために、どうしても実際に訪れてみたい場所がありました。

 

 

どうしても確認したいことがあったのですが、夫(前夫です)に言い出すことができず……

 

でも、

 

やっぱり、行きたい!

 

やっぱり、確認したい!!

 

 

と思ったわたしは、

 

 

行きました。

 

 

朝、夫をいつもと変りなく送り出すと、ダッシュで準備をし、

近鉄・新幹線と乗り継ぎ、やってきたのは、東京。

(その頃は、三重県に住んでいたのです)

 

 

行きたかった場所は、

 

東京タワー

 

です。

 

 

どうしても確認したかったのことは、二つ。

 

一つは、

 

展望台からの眺め

 

そして、もう一つは、

 

その時、自分が何を感じるか

 

です。

 

 

東京タワーの展望台に上り、そこからの眺めをしっかりと目に焼き付け、

そして心に問いかけ、再びダッシュで家へと戻り、

何食わぬ顔をして帰宅した夫を迎えたのでした。

 

 

さて、今日は、現在連載中の小説『お由布』の舞台となる場所を、実際に歩いてきました。

 

これで、三回目です。

 

 

本日のお供は、こちら。

 

古地図の類は何種類か持っているのですが、今日はこれを持って出ました。

 

中は、現在と江戸時代とを対比してみることができるようになっています。

 

 

バスも電車もなかった江戸時代の庶民は、もっぱら歩き。

なので、実際に歩いてみないと。

もちろん、小説に描くことすべてを実際に確認することは無理です。

でも、できる限り自分の目と足で確認したいと思います。

 

本日のスタート地点は、こちら。

 

テレビのCMでもお馴染みの福徳神社です。

小説に出てくる清之助の勤め先は、この辺りという設定です。

 

爽やかな小道も…

 

 

さらに歩いていくと、こんな楽しいお店もありました。

 

 

 

クチナシの甘やかな香りにも癒されて、気分上々の江戸散歩でした。

 

 

 

 

 

 

連載小説『お由布』 その六

 

その日、近所へ使いに出かけた帰り道、お由布は油問屋の前で、作治にばったり出くわした。

 作治というのは、主に新橋から日本橋に挟まれた下町を中心に、貸し本屋をやっている男である。その日その日を暮らすのに精一杯の庶民にとって、本などという値段の張るものは、作治のような貸し本屋から借りて読むのが一般的だった。

 ただひたすらに生きてきて、突然に目の前に垂らされた細い糸。救いの糸と信じてつかまり降りた先が、清之助の膝の上だった。

 体は膝の上から降りることを許されない。だが、本を読んでいる時だけは、誰にはばかることなく、心が自由になれるのだった。たとえ、それが一時の借りものであろうとも。

 作治はその自由な世界を定期的に運んできてくれるばかりか、世間話というおまけまで持ってきてくれる。

 始めのうちは、そうした時を持つことで、なんとか凌いでいけるように思われた。しかし、心が自由を味わえば味わうほど、その後の渇きが、一層辛く感じられた。ほんのわずかな時でも解き放たれる楽しさを知った心は、より一層多くの自由な時を欲するようになる。

 自由という空気を吸って、のびのびと大きく膨らんでいった心は、やがてお由布の心と体を揺さぶり始めるのだった。

 

 

「おや、作治さん。こんなところで店開き」

 お由布は、積み上げられた本のそばにしゃがんで尋ねた。

「これはお由布さん。いえ、なに、こちらのご主人に本をお貸ししたところで。店先をお借りして、ちょいと荷を整えていたところでさぁ」

「あら、もうしまうところだったの。それじゃあ、悪いわねえ」

「なに、かまやしません。もう一度ここで荷をほどいたところで、誰が文句を言うものかってね。ほらよっ、と」

 作治は機嫌良く、包みかけた荷を再びお由布のために広げて見せた。

「おいらは鯱見て育った、正真正銘の江戸っ子でぇ。早くに家族は死んじまったけど、それでもおてんと様と米の飯はついてまわらぁ」

 これが作治のいつもの口癖である。先の江戸の大火で両親と妹までを亡くしていたが、だからといって陰にこもることもなく、毎日元気に本を担いで、まさにお天道様の下を闊歩していた。

 そんな威勢のいい作治と話していると、つかの間でも胸のつかえを忘れることができる。お由布が作治から本を借りるのには、案外そんな理由があったのかも知れない。

 目の前に広げられた草双紙類の数々を眺めつつ選びあぐねていると、

「これなんか、面白いぜ」

と、脇から聞き慣れない声がして、浅黒く日焼けした手が一冊の本をお由布の前に差し出した。

 清之助の男らしからぬ白くてきれいな指をしている手とは対照的に、それは日に焼けて肉厚で太い指をしていた。

 差し出された本を前に躊躇していると、

「なんだい、幸さんか。いつ江戸に戻ってきたんだい」

 作治が気安そうに、その男に声をかけた。

「ああ、三日ほど前にな」

「上方は、どうだったい」

「相変わらずだね」

「へえ、そうかい。ところで、商売の方は」

「そうさな。こっちの方も相変わらずかねぇ」

 幸さんと呼ばれた男は、満更でもなさそうに白い歯を見せて、陽気な笑い声をたてた。

 お由布の心が、どきりと揺れた。

「ほら、こいつは絶対に面白いって。まあ、読んでごらんな」

 考えあぐねているお由布の様子を見て取って、その男は重ねて言った。

「そんなもんばっかり読んでたって、じき飽きちまう」

 無意識のうちに手にしていた草双紙にちらりと目をやって、男は言った。馬鹿にされたと思った。お由布は頬が赤くなるのを感じた。気を紛らわせてくれれば、それで良かったのだ。目は文字や挿絵を見つめながら、心はいつもどこか見知らぬ世界を漂っていた。

「まあ一度読んでごらんよ。お由布さんは読み書きが達者だから」

 作治は続けて言った。

「幸さんは、こう見えても中々、目が肥えてるからね。信じていいよ」

「けっ、こう見えてもは余分だぜ」

「はは。すみません」

 男二人の軽妙なやり取りに、お由布も釣られて笑った。ふと、この前笑ったのはいつだったかと、お由布は記憶を辿った。

「じゃあ、お由布さん」

 作治は言いながら、手にしている草双紙を取り上げると、他のものとひとまとめにして、もう肩に担いでいた。

(信じていいよ)

 お由布は、幸さんこと幸吉の勧めた本を、胸に押し戴いた。胸の奥に温かなものが、ほのかに広がった。

 

つづく

連載小説『お由布』 その五

   五

 

 万事がそうであった。清之助の場合は、小言というより頭ごなしの命令である。

「ああしておけ。こうしておけ」

 そんな言い方をされると、お由布は何も言えなくなってしまう。

「はい、分かりました」

あるいは、

「申し訳ありませんでした。これから気を付けます」

と、頭を下げるほかはない。

 説明したり言い訳をすることは許されなかった。それはすなわち口答えであって、清之助の最も苦手とするところであった。万が一、ひと言でも言い返そうものなら大変である。お由布が泣いて泣いて、泣きじゃくりながら己の非を責め、平身低頭、謝り続けない限り、清之助の怒りは解けないのであった。お由布に非がある場合は言うに及ばす、全く逆の場合でも、あるいは、どうにも虫の居所が思わしくない時だったりすると「なんだ、その顔つきは」とか「そんな言い方があるか」と、追い討ちを掛けてくる。そんなときは、とにかく頭を下げ続けるしかないのであった。

 お由布とて、自分が悪いと思わない時までも頭を下げるのは、いかにも気持ちが収まらなかった。が、狭い家の中で、いつまでも不機嫌に黙りこくったままの清之助を目の前に、居たたまれない心持ちになり、結局は頭を下げるのだった。

 そんなことが、月に何度か繰り返されるうち、お由布は、自分はなんと出来の悪い女房なのかと思うようになっていった。

 清之助の機嫌が悪くなるのは、ひとえに自分の出来が悪いからだ。そうに違いない。きっと、そうだ。そう思おう。そういうことにしよう。それでいいのだ。   

 ささくれ立って居場所を見失いそうになりそうな自分の心に言って聞かせて日を送る、そんな習慣がいつしか身に付いていた。

 

 梅の香り漂う、ある日の午後。清之助が出かけて一人になったお由布は、日野屋の主夫婦のことを思いだしていた。確かに与平はいつも胸を張って威張っていたように見えなくもない。だが、そばに寄り添うお初と、時折顔を見合わせて微笑み合うのを何度も見ている。そのたびに、「これが夫婦というものか。この二人の間にあるのが情愛というものなのか」と、世間知らずのお由布は思っていた。さらに記憶をたどって、自分の両親のことを思い出してみても、

「いいかげんにしやがれ」

「なに言ってんだい」 

 お互い声を張り上げて喧嘩をしていたかと思うと、いつのまにか仲良く茶を飲んで笑い声を上げていたっけ。

 そんな、これまでに知っている夫婦とは、自分たち夫婦は、明らかに何かが違うと思うのだが、それがなんなのか、お由布には見当がつかないのだった。夜に肌を合わせていても、いつも薄紙一枚、そこにはあった。たとえ寒い夜だったとして、なぜか底冷えのするような寒さが、お由布の体と心を芯から冷やした。

 いっそ長屋のおかみさん連中に話してみようかと思ったこともある。

 ある日、井戸端で洗い物をしている時に、勇気を出して話そうとした矢先、

「お由布さんは、いいわねえ」

と、向かいの棒手振りのおかみさんが不意にお由布に話しかけた。

「だって、そうでしょ。清之助さんは、物腰が柔らかくって、物静かで優しそうだもの。うちの亭主なんて、言葉は汚い、飲むと騒ぐ、大変なもんよ」

 いえ、実は…と言いかけると、別のおかみさんが畳みかけるように、こう言った。

「そりゃあ、大店の、なんせ支配人さまだもの。あんたんとこの宿六とは違って当たり前さ」

 おかみさんたちは口々に、「そりゃ、そうだ」と高らかに笑って、それぞれの家へと戻っていき、お由布は一人井戸端に残された。

(わかってもらえない)

 お由布は思った。確かに清之助は、賭け事はやらない、女遊びもしない。酒も付き合いで多少は飲むが、飲んで暴れることもない。傍から見れば、なんとも出来のいい夫なのだった。

 誰にもわかってもらえない。お由布は、一人っきり、底知れない暗い穴へと落ちていくような感覚に襲われるのだった。

 

つづく