30.どん底へ

ある日突然、電話1本で解雇されたわたし。

愛犬を亡くして、ボロボロの状態でした。

 

所属していた市民団体は経営難で、そのストレスを毎日骨身に感じながら仕事をする日々でした。

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そして、突然の解雇。

 

この世に存在していることの意味も理由も、なにも感じられなくなっていました。

 それでも、

 

実家にだけは戻るまい。

 

と思っていました。

 

反対を押し切っての結婚。

自らの意思での離婚。

自立を目指したはずが、解雇。

 

どの面下げて戻れるか。

 

それに、姉が結婚をして建てた家に母を引き取って暮らしていました。

いわゆる実家は、もうありませんでした。

 

けれど、たまたま姉が団体に電話をして、わたしが辞めた(本当は解雇ですが、電話でそう言われたそう)ことがバレてしまいました。

 

とにかく一度戻っておいで。

 

姉に言われました。

母も義兄も心配しているからと。

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帰ることにしました。

わたしが見えない場所で苦労していることを想像させるよりも、目の前で見せる方が、母たちも安心するのではないか。

そう思いました。

『帰る』と言うよりは、『退散』とか『撤退』と言う方がしっくりくるような心境でした。

 

まだ使っていなかった子供部屋の隅に、ベッドと机を置かせてもらっての生活が始まりました。

とりあえず、住む場所と食べる心配だけはなくなりました。

 

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29.新たな旅立ちのはずだった

これからは、一人で生きていく。

経済的にも精神的にも自立した、まずは一人の人間になろう。

この地に両足をしっかりと付けた、一人の大人になろう。

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そう固い決意をして離婚したはずだったのに、立て続けに災難がわたしを襲いました。

 

まず、離婚する際に連れて出た愛犬を病気で亡くしました。

生きるのに必死で、愛犬が病に侵されているのに氣がついてやれなかった。

そのために手遅れになり死なせてしまった。

この深い後悔の念は、長く長くわたしの心に残りました。

今も完全に癒えたとは言えません。

思い出せば涙がこぼれそうになります。

この後悔の念は、おそらく一生抱き続けていくでしょう。

けれど、この思いは、ただ自分を責めるだけのものでなく、今後の生き方に活かしていくという考えに変わっています。

後悔をしない生き方。

常に最善を尽くす生き方。

そして、諦めることも学びました。

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愛犬を亡くしてしばらくは、泣いて泣いて泣きすぎて、コンタクトも入らないほどに目が腫れてしまいました。

このままいけば、完全にペットロス症候群になるところでした。

ところが、さらなる災難がふりかかってきたのです。

 

わたしが離婚に踏み切れた現実的な要因として、車を買い変えるつもりで貯めていた数十万円のお金があります。

そして、もうひとつ。

その頃わたしは、とある市民活動団体の専従として、少ないながらも定収を得ていました。

この2つの要因があればこそ、勇気を出して離婚を申し出ることができたのです。

慰謝料?

わたしは黙って別れてくれさえすれば、お金は一銭もいりませんでした。

そんなものに固執して離婚できない方が不幸です。

 

さて、とても細い糸でしたが、団体からの定収はわたしと愛犬の生活を支える貴重な糧となっていました。

ところが、ある日突然、解雇されたのです。

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その団体は、恒常的な資金難に陥っていました。

なんとかしなければと思いながらも、有効な手立てはなかなか見つかりませんでした。

そんな中で、唯一給料をもらっていた専従としてのわたし。

わたしを首にすれば、年間300万円近くのお金が浮いてきます。

 

解雇を言い渡される前日、わたしは仕事の関係で出張していました。

夜、他団体の方たちと食事をしているときのことです。

突然、心臓がドクンと波打ちました。

なんだろうと思っていると、また‥‥

不気味でした。

 

出張から戻ったら、一度病院で見てもらおうか

 

そんなことを考えながら出張から帰り、愛犬のいなくなった一人きりの部屋で休んでいた時。

電話が鳴りました。

出ると、団体の代表からでした。

 

明日から、もう来なくていいから。

 

え?

 

意味が分かりませんでした。

言葉が、言葉として頭に入ってこない感じです。

一旦、電話を切り、考えました。

やっぱり、理解できません。

こちらから、代表に電話を掛け直しました。

 

さっきの電話ですけど、それは解雇ということですか?

 

そうです。

 

明日からどうやって食べていこうと思いました。

家賃は?

食費は?

光熱費は?

頭の中は、いっぱいいっぱいのようで、空虚なようで。

どう表現したらいいのか。

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人がある日突然仕事を失うということがどういうことなのか、わたしは初めて知りました。

それは、収入がなくなって生活に困るという現実的な問題とは別に、人としての存在を否定されたような氣になるということです。

 

自分は、ここに居ていいのか?

生きていていいのか?

なぜ愛犬が死んだとき、自分も一緒に死ななかったのだろう。

 

本氣で、そう思いました。

 

中学3年生の時、父を癌で亡くしました。

日を追うごとに痩せ衰えていく父を見続けた日々。

  連載プロフィール目次

 

そんな経験のあるわたしは、

 

命ある限りは生きる

 

これだけは何があっても譲れない、わたしの信条です。

そんなわたしが、初めて『死』を意識しました。

 

死のう

 

とは思いませんでした。それだけは思えませんでした。

でも、なぜ、あの時死ななかったのかと、自分が生きていることを呪いました。

 

 

◎◎◎  ⏪ 前     続く ●●●

 

 

 

 

 

 

 

 

 

28.結婚生活にケリをつける

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これからは、俺が白と言ったら、たとえ自分が黒と思っても白と言え。白だろうと黒だろうと、たいした違いはないのだから、男の俺の言う通りにすればいい。

何かもめ事が起きても、男は謝らなくても自分が悪いことはわかっている。だから、常に女であるお前の方が謝れ。そうすれば家庭はうまくいく。

 

結婚した直後に、こう宣言されたわたし。

付き合っているときは、とても穏やかで心の広かった人の口から出たこの言葉を、最初わたしは信じられませんでした。

 

まさか。なにかの冗談だろう。

 

と。

そもそも言っている意味が理解できませんでした。

 

わたしはこう思うけど、あなたは?

 

という話し合いが、なぜできないのだろう?

 

どちらでも、自分が悪いと思った方が謝ればいい。

男だからとか、女だからとか、関係ないんじゃない?

 

それだけではありません。

デザイン関係の仕事をしていた夫は、自分のセンスに絶対の自信を持っていて、家具と同様、わたしの服装もモノトーン中心となりました。

 

おかしいですね。

けれど、そんなことを考えている余裕はありませんでした。

母の猛反対を押し切っての結婚でした。

ストレス満載の仕事も辞めたくてした結婚でした。

結婚に対しての夢や希望だって、もちろん持っていました。

 

とにかく進むしかない。

 

完全見切り発車の結婚生活でした。

 

相手は宣言通りの人でした。

思ってもいなかったことで、いきなり怒鳴られたことも一度や二度ではありません。

氣に入らないことがあると、わたしが頭を下げて謝るまで何日でも口をきいてくれません。

2人しかいない家庭の中で、それは耐えられないことでした。

意に沿わないながらも頭を下げて謝る。

そんなことの繰り返しの日々が続きました。

 

結婚して8年くらい経ったとき、一度ノイローゼになりかけました。

でも、その時は、

 

自分の努力が足りないのだ。

もう一度がんばってみよう。

 

と思ってしまい、結果としてさらに自分を追い込むことになるのですが、その時は、まだ氣がつきませんでした。

やはり、母への意地も大きかったと思います。

 

後に書いた、時代物の掌小説「お由布」の中で、その頃のことをこんなふうに書きました。

 

 毎日、自分の思いに背を向けて、言われるままに頷き、謝ることを続けているうちに、いつしか、自分はなんて出来の悪い嫁なのかと思うようになっていった。清之助から、ああ毎日頭ごなしにあれこれ言われるのは、ひとえに自分の出来が悪いからに違いない。そうだ、そうに決まっている。そういうことにしよう。それで、いい。そう。それで、いいのだ―。
(中略)
 いつでもどんなときでも口答えせず、少しでも不機嫌な色が見えたと感じると、即座に「申し訳ありませんでした」と、頭を下げる。お陰で、夫婦の間には波風一つ、そよとも吹かない。その代わり、時折りお由布の身体に正体不明の風が吹く。その風は、時に頭の芯を揺らし、時に心の臓に揺さぶりをかける。

 

離婚を決めたのは、結婚して13年経った、わたしが39歳のときでした。

 

心を決めたのは、こんなきっかけからでした。

 

ある時、ほんの些細なことで夫が狂ったように怒ったのです。

 

そんなことで?

 

というようなことで、ドライブ中の車の中で怒鳴り散らし喚き散らしたのです。

それを見ていたわたしの心が、実に見事にスーッと冷めていきました。

「憑き物が落ちたよう」とは、正にこういうことを言うのでしょう。

 

冷静になったわたしは、わたしに問いました。

 

そんなに、わたしは出来の悪い妻か?

 

答えは、

 

 

でした。

 

でも本当の地獄は、ここから始まりました。

わたしは目が覚めてしまったのです。

愛せない、尊敬できない人間と、一つ屋根の下で暮らすことほど、苦しく辛いことはありません。

わたしは、夫の顔を見るだけで食事が喉を通らなくなりました。

夫は自営業でしたので、毎日必ず決まった時間に帰ってきて夕飯を食べます。

つまり、朝食と夕食が食べられなくなったのです。

夫がいない昼食だけは、なんとか食べることができました。

わずか1ヶ月で、わたしは体重が5㎏減りました。

 

ある日、とうとう離婚をしたいと申し出ました。

予感はあったのでしょう。

 

俺が悪かった。

悪いところは直す。

 

夫は言いました。

けれど、わたしは限界でした。

とりあえず、他にアパートを借りることにしました。

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家を出た直後、何十年ぶりかというほどの大きな台風がやってきました。

アパートの目の前にある倉庫のトタン屋根がベリベリと音を立ててはがれ、今にもこちらへ飛んできそうなほどでした。

 

俺が悪かった。

悪いところは直す。

 

と言った夫の言葉が心の隅に残っていたからでしょうか、わたしは恐ろしさと不安から思わず夫に電話をしてしまいました。

その時、受話器の向こうから聞こえてきた夫の言葉。

 

なんだ、色々反省したか。

 

ああ、そうだ。

 

と思いました。

わたしは、これが嫌だったんだ。

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この一言で、わたしの中にわずかばかり残っていた未練が、きれいさっぱり無くなりました。

 

夫の言葉に何も答えずに電話を切ったわたしの心は、晴れ晴れとしていました。

 

これからは、一人で生きていく。

経済的にも精神的にも自立した、まずは一人の人間になろう。

この地に両足をしっかりと付けた、一人の大人になろう。

 

わたしは、強く自分に誓ったのでした。

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