秋分の日に、篠笛とクリスタルボウルのコラボコンサートに行ってきました。
安枝さんは、3年ほど前に八ヶ岳の身曾岐神社で開催された東儀秀樹さんのコンサートへご一緒した際に、ご自分が過去世で笛を吹いていたことを思い出し、それがきっかけで篠笛を始められました。
習い始めた当初は、
音を出すことすら難しくって
と話していらっしゃったのですが、その後精進を重ねられての、初コンサートです。
緊張の面持ちでひと笛吹かれた瞬間、わたしの脳裏に里山の風景が浮かびました。
そして、なぜだかわからないけれども涙がこぼれてきました。
先日のフラワーエッセンスの時と同様、自分も忘れてしまっていた心の傷が癒されたのでしょうか。
安枝さんのお話によると、篠笛は竹にただ穴を開けただけの簡素な作りで、古の昔より庶民の楽器だったそうです。
だから、どこか懐かしい里山の光景が浮かんだのでしょうね。
篠笛に限らず、ピアノやヴァイオリン、あるいは文章にしても演奏者や書き手によって味わいが違います。
技術は学ぶことで身に付きますが、音色や文体は持って生まれた感性によって様々に変わるものではないでしょうか。
安枝さんの笛の音色には、人の心に染みわたるチカラがあると思いました。
またぜひ、じっくり聞いてみたいものです。
さて、もうお一人は、美和子さん。
彼女のクリスタルボウルは以前から大好きで、新月や満月の際に自宅サロンで開催される演奏会に、都合がつく限り参加していました。
けれど、ここ最近はなかなか都合が合わず…
今回は、久しぶりにじっくり聞くことができました。
クリスタルボウルって、耳で聞くのではなく、体全体で受け止めるって感じ。
人それぞれ、その時の体や心の状態で受け止め方は変わると思いますが、頭の周りをグワングワンまわっていたかと思うと、体中にドォーンと響いてきたり。
この感覚、クセになります。
おまけに、今回は、最近彼女が惹かれ練習中のアイリッシュハープまで聞くことができ、大感激です。
本人は、
ボロボロだった
と落ち込んでいたようですが、いえいえなかなかの出来栄えでした。
今後一層の精進?を期待します。
クリスタルボウルの演奏の時は、いつも寝転がって夢と現を行ったり来たりしているので、彼女が演奏している写真がないのが残念です。
わたしには、大切な友が何人かいます。
そのうちの二人とは、すでに30年の付き合いになります。
仮に二人をA子さん、B子さんとしましょうか。
わたしがA子さんと知り合ったのは、彼女のお店のオープンをひょんなことから手伝うことになったのがきっかけです。
彼女の幼馴染のB子さんとも、それで知り合うことになりました。
これまで彼女たちには、どれだけ慰められ、励まされ、支えられてきたかわかりません。
現在東京に住んでいるわたしと、四日市に住む彼女らとは、年に数回会えればいい方です。
メールのやり取りも滅多にしません。
B子さんの家に遊びに行ったことはあるけど、A子さんの家に行ったことはありません。
(お店に行けばいつでも会えたというのもありますが)
それでも、わたしたちは仲の良い友人同士なのです。
何が言いたいかというと、相手のことをどれだけ知っているかということと、信頼できる友であるかどうかということは、必ずしも一致しないということです。
たとえば、興信所にでも依頼して根掘り葉掘り調べ上げたら、その人とは友だちですか?
違うでしょう。
確かに付き合っていくうちに、互いにいろいろ知り合い、より一層仲が深まることもあるでしょう。
けれど、大切なのは量ではなくて質です。
「 質」 というのは 「 秘密 」という意味合いではありません。
相手に対する姿勢といったことでしょうか。
彼女らに悩みを打ち明けたり、相談に乗ってもらったことは、もちろん何度もあります。
けれど、彼女らは、決してズカズカとわたしの心の中にまで入ってこようとはしません。
それでも、親身に寄り添ってくれます。
だから、わたしは、彼女らを信頼しています。
わたしも、また彼女らにとって、そういう存在でありたいと思っています。
互いのことを深く知っても知らなくても、その姿勢に信頼感を持てるかどうか。
信頼できる人が、わたしにとっての大切な友です。
わたしにも、亡くなった父やご先祖や、神さまや天使がついていて、いつも見守ってけれていると思う。
でも、実際に頭を使ったり、手や足を動かすのは自分自身だから。