変化への準備は着々と

今は変化の時代と言われています。

変化の波にうまく乗るために、心の準備をしましょうとか、

断捨離をして環境を整えましょうとか、

様々言われています。

 

そのせいでしょうか。

昨年末あたりから、わたしはよく昔の夢を見るようになりました。

もともと夢はよく見る方ですし、

夢からメッセージを受け取ることもままあります。

 

かつて仲の良かった友だちや、ちょっとした因縁のあった相手と親し気に話す夢だとか、

昔のアルバムや日記を見ている夢だとか、

髪を見事なショートにカットして、ほぉーっと見惚れている夢だとか、

 

きっと、過去を整理・浄化して、来るべき変化に備えているのでしょう。

 

 

 

さて、昨日は、たまたま夫と

 

人生で大切なものを3つ選ぶとしたら

 

というテーマで考える機会がありました。

 

 

3つねぇ

なんだろう~

 

思わず二人して考え込んでしまいました。

 

 

 

しばらくして夫が、

 

やっぱり、まずは愛だろ

 

と言いました。

 

わたしが、

 

それと健康だね

 

と言いました。

 

 

 

あとは、やっぱりお金かなぁ

そうだね、この社会で生きるためには、やっぱりお金も必要だね

 

 

 

というわけで、わたしたち夫婦が考える人生で3つの大切なものは、

 

 

健康

 

お金

 

ということで落ち着きました。

 

 

 

 

そんな話をしたからでしょうか。

明け方、夢を見て大大大号泣してしまいました。

 

号泣ではありません。

 

大大大号泣です。

 

夢を見て泣くことは、たまにあります。

そんな時は、

 

ああ、浄化されたんだな

 

と思うわけですが、今回の浄化はハンパなく強力なものだったようです。

 

夢の内容はここには書きませんが、たぶん夫との過去世に関わるもので、

 

喪失

再会

 

のいっぱい詰まったドラマチックなものでした。

 

普段は夢で泣いても、目が覚めるとスーッと気持ちが落ち着いていって、

自然と涙も止まります。

 

ところが、今回は目が覚めてからも、今ここにいることを頭は理解しながらも、

あまりに夢の中での感情の波が強くて、心がいつまでたって鎮まることがありませんでした。

(後で、鼻が詰まって困っちゃった。。。)

 

 

けれど、その夢のおかげで、今の夫と出会い・結婚したわけがわかったような氣がします。

 

 

出会うべくして出会い

なるべくしてなったのだ

 

 

と。

 

 

だからといって、今朝から突然、わたしの夫に対する態度が

180度変わったわけではありませんよ ((´∀`))

 

 

けれど、夢で見たあの出来事は、確実にわたしに何かを残していったようです。

 

 

通路を開ける

宇宙は、あなたをサポートしたいと思っている。

 

けれど、あなたが嫌だと思っているときは、その通路が塞がっている。

 

サポートを受けたいと願うなら、好きなことをしよう。

 

そのとき、通路は開いている。

歴史はつくられる

わたしの尊敬する師が、その昔こんなことをおっしゃってました。

 

かつて大虐殺が行われたという、まさにその時、その場所におられたそうです。

そして、ご自身の知る限り大虐殺というものは

経験していないし、見ていないし、聞いていない。

 

けれど、日本に帰ってきてそのことを話しても、誰も聞いてくれなかったと。

 

その話をされた時の、師の悲しそうな、悔しそうな、無念そうな、やりきれない様子を、

わたしは今でも忘れることはできません。

 

 

そのとき、わたしが痛感したのは、『歴史はつくられる』ということです。

 

 

 

 

例えば、この日本でも、藩同士、武将同士の争いは数えきれないほどありました。

 

現代に生きるわたしたちは、そのことを歴史の授業や小説などで知るわけですが、

それらは、そもそも歴史の文献を元にしています。

 

それでは、その歴史の文献は、誰が書き残したのか?

 

戦いに参加し、なおかつ書き残せる人物というと、

それは勝った側の人間でしょう。

 

負けた側で、書き残せるような立場にいた人物は、

たいてい殺されるか自害しているでしょうから。

 

そして勝った側は、おそらくは自分たちのしたことを正当化するような

書き方をするでしょう。

 

 

そうして歴史はつくられてきたし、これからもつくられていくのです。

 

 

 

だって、完全に平等・公平な見方のできる人間なんていないから。

 

 

ところで、わたしはアンケートなどの職業欄は、『主婦業』としています。

 

確かに仕事もしているけれど、

それでもやっぱりわたしの生活の大半は主婦業で占められているからです。

 

そんな主婦業のわたしでも、新聞・ニュース・ワイドショー・電車等の中吊り広告など、

毎日多くの情報や情報の切れ端に触れています。

 

その中から、どの情報を採用するか?

 

氣になるものは、ネットや本などで自分なりに調べます。

 

でも、どんなに調べても、どんなに人に聞いても、

それは『自分なりに』でしかありません。

 

行きつく先は結局

 

 

わたしは、こう感じる・思う・考える

 

 

です。

 

 

 

先日の『思いつきのひと言』で、

 

 

自分が正しいと思うことは、声高に叫ばない

 

 

と書いたのは、そういう意味です。

 

 

 

自分がどんなに正しいと感じ・思い・考えることでも、

それは『自分なりに』でしかない。

 

 

わたしは、そう思うのです。