本気で生きる

わたしが離婚をしたのは、39歳のときです。

離婚に至る事情は人様々なので、一概に「こういうものだ」と決めつけることはできません。

なので、わたしの場合の、わたしなりの考え方ということで読んでいただければと思います。

 

 

さて、よく離婚したいと思いながらもせずにいる人の意見の中に、

 

 

食べていけないから

 

と、

 

 

子どものため

 

 

というのがあるように思います。

 

 

 

食べていけない

 

 

とは、どういうことなのでしょう?

 

 

子どものため

 

 

とは、どういうことでしょう?

 

 

 

 

まず今日は、「食べていけない」ということについて考えてみたいと思います。

 

 

 

わたしには、安月給とはいえ仕事がありました。

 

 

だから、離婚できた?

 

 

確かに、そういう面は否めません。

けれど、それだけで、「離婚しちゃえ!」とはなりません。

そんな簡単なものではありません。

 

 

わたしの場合、最後は相手の顔を見るだけで食事が喉を通らなくなり、一か月で5kgやせました。

それまでパンパンだったGパンが、両手が簡単に入るくらいブカブカになりました。

 

このままでは、体か心のどちらかが死んでしまう。

 

そう思いました。

 

 

死にたくない

生きたい

 

 

それが離婚を決意したときの、わたしの心境です。

 

 

具体的に離婚が頭にちらつき始めたとき、

 

子どもがいない

仕事は、とりあえずある

 

状態でした。

 

だけど、アパートを借りるにしても、ある程度まとまったお金がいるし…

 

ところが、冷静に考えてみえば、車を買い替えるために貯めていたお金がありました。

このお金があれば、一人で借りる部屋の礼金・敷金が賄える!

 

目の前が、パッと明るく開けていくような氣がしました。

 

こうして離婚に踏み切りました。

 

⇒連載プロフィール『28.結婚生活にケリをつける』

 

 

さて、仕事はありましたが、家賃と光熱費を払ってしまうと、

あとは食べていくのがやっとという程度の給料でした。

それでも足りなければ、他にバイトをしてでも食っていってやる。

 

そう思いました。

 

自分で自分を養っていくと、固く心に決めての離婚でした。

 

 

ちなみに、わたしは慰謝料を一切もらいませんでした。

なぜなら、暴力とか浮気とかギャンブルとか、そういった明らかないわゆる落ち度が相手になかったからです。

そして、慰謝料をもらうために揉めて離婚できない状態が長引くのは嫌でした。

離婚したいと母(家庭裁判所の調停委員をしていたことがあります)に告げたとき、

「相手に明らかな落ち度がない場合、逆に慰謝料を請求される場合もあるよ。そうなったら、どうする?」

と聞かれ、即座に「そうなったら、一生かけても払う」と答えたわたしでした。

 

 

 

 

よく、仕事がなくて食べていけないから離婚できない

 

とか、

 

子どもがいるから…

 

とか言う人がいます。

 

そうした理由で、離婚したいと思う人間と一緒に暮らしていられるのなら、

それは一緒に暮らしていけるということなのだから、それはそれでいいでしょう。

人それぞれ好きにすればいいのです。

 

 

わたしの場合は、もう一時たりとも同じ家に暮らすことはできない切羽詰まった状況でした。

 

 

たとえば離婚したら生活できない。

かといって一緒に暮らすのは嫌だから別居して生活費だけもらう。

 

という人もいるでしょう。

 

それができる人はすればいいと思います。

 

 

わたしは性格的に、そういうことはできませんでした。

 

それって、おかしいでしょ?

 

と思うからです。

 

それは、お金のために好きでもない男に自分を捧げているのと同じと言ったら言い過ぎでしょうか?

 

 

離婚はせずに、別居結婚を続ける。

 

 

それで、本当にその人は幸せでしょうか。

 

その人の心や体は自由なのでしょうか。

晴れ晴れとした気持ちで、大きく息を吸うことができるのでしょうか。

 

 

 

年齢を重ねてから、改めて社会に出ていくことは、怖くて勇気のいることかもしれません。

この先に、何が待っているかわかりません。

それでも進むべきときには進んでいくしかないのです。

 

 

 

でも、本当の意味で自由に自分自身を生きようと決めることは、

必ず人生をよりよい方向へと向けてくれます。

 

 

わたしは10年前に再婚した夫と、今も仲良く、

そしてそこそこ経済的にも恵まれた生活を送っています。

 

でも、これは、

 

 

仕事を掛け持ちしてでも自分で自分を養って生きていってやる!

 

 

と決心して離婚に踏み切り、必死で生きてきたわたしへの、天からのご褒美だと思っています。

 

 

自分の人生と本気で向き合い、生きることに真剣な人間には、必ずご褒美がもたらされる。

 

わたしは、そう信じています。

 

 

 

注)当然ですが、決してみなさんに離婚をおすすめしているわけではありません。

 

 

 

 

 

 

〝 死 ” という形の別れ

人は生きていく中で、多かれ少なかれ別れというものを経験します。

 

それは、

クラス替えや進学によるクラスメイトとの別れ

仲違いや引っ越しによる友人との別れ

思わぬ環境の変化に伴うコミュニティとの別れ

心境の変化など諸般の事情による恋人、あるいは配偶者との別れ

 

いろいろです。

 

そして、数ある別れの中でも大きな影響を与えるものの代表が 〝 死 ″ ではないでしょうか。

 

わたしも、中学三年生の時に父を病気で失いました。

そして、離婚の際にも連れて出た犬を、やはり病気で失い、ペットロスになりかけました。

幸か不幸か、その直後に解雇の憂き目に遭い、現実面での問題に振り回されてペットロスどころではなくなりましたが…

 

このペットロスについては、時折ご相談をいただたりもしますので、今日はそのお話をしてみたいと思います。

 

可愛がっていたペットというのは、もはや家族の一員で、その存在を〝 死 ″ という形で失うのは、本当に苦しく辛いことです。

生きる支えを失うといっても過言ではないでしょう。

もし、どれだけ万全の看病ができていたとしても、「もっと何かしてやれたのではないか」との思いが、

いつまでも心の中に残ってしまうといこともままあります。

泥沼に飲み込まれていくような感覚を味わうこともあるでしょう。

 

 

でも・・・

 

わたしたちは生きていかねばなりません。

命あるものは、その生を全うしなければなりません。

 

だから、

 

こんなふうに考えてみることはできないでしょうか?

 

ペットを失う悲しみは、見方を変えれば、看取ってやれた喜びであり幸せであると。

 

 

こんな言い方をすると誤解を招いてお怒りになられる方もいらっしゃるかもしれませんが、

 

もし、ペットが人間より長生きだったら。

 

この犬は祖父の代から飼っている犬で…

 

そんなことになったら大変です。

 

自分の代で死なせるわけにはいかない!

 

必死です。

 

 

犬や猫などのペットは、人間より寿命が短いからいいのです。

だから、最後を看取ってやれるのです。

 

わたしたち夫婦も、たまに「犬でも飼おうか」と話す事があります。

けれど、自分たちの年齢を考えると、その決断は早ければ早い方がいい。

とはいえ、まだまだ旅行も楽しみたいと思うと、未だ決断ができずにいます。

 

 

 

犬や猫、その他のペットは命の重さ・暖かさを教えてくれる素晴らしい存在です。

今、何かペットを飼っていらっしゃる方は、そんな存在に出会えた幸せに感謝しつつ、

笑顔溢れる生活を心ゆくまでお楽しみいただきたいと思います。

 

そして、今、愛するペットを亡くして悲しんでおられるかたかは、思いきり泣いて悲しんだら、ぜひ立ち上がり、新たな歩みを始めていただきたいと思います。

 

 

 

⇒ 連載プロフィール目次

自分で自分を癒す

心がささくれだっているときは、そんな自分の姿を想像してみよう。

 

 

真っ赤な顔をして怒っている?

 

それとも、

 

顔をくしゃくしゃにして泣いているかな?

 

あるいは、

 

拗ねてうつ向いているかも

 

 

 

どんな姿でもいいから想像できたら、その自分を、もう一人の自分で抱きしめてあげて。

 

 

 

いいんだよ

 

大丈夫だよ

 

大好きだよ

 

 

 

そう言って抱きしめてあげて。

 

そうすると、心はずいぶんと落ち着くはず。