わたしの習慣

その昔、どん底にいた時から始めた、わたしの習慣。
 
 
それは、夜寝るとき、布団の中で
 
 
神様に感謝すること
 
 
そして、
 
 
笑顔を作って眠る
 
 
こと。
 
 
 
 
だってね、どんなに辛くて苦しくても、
夜布団に入って眠ることができるだけでも
感謝できるし、起きている間は、なかなか笑えなかったから、
せめて寝る時くらいは笑顔になろうって思ったんだ。
 
 
 
 
感謝する具体的な内容なんて考えない。
 
笑顔だって、口角を上げるだけ。
 
でも、そうしていたら、
 
本当に感謝できることが増えていった。
 
本当に心から笑えることが増えていった。
 
 
 
感謝
 
 
 
 
笑顔
 
 
最強だね。
 
 
 
 
この習慣は、もちろん今も続けています。
 
 
以前は心の中での感謝だったけど、
今は声に出してるし、明日の幸せもお願いするように変わってるけど。
 
 
バージョンアップかな?
 
 
 
そして、〆は、もちろん
 
 
笑顔 (^o^)
 

どこにフォーカスする?

 
 
先日、友人が
 
 
 
幸せなんだけど、お金には縁がなくって……
 
 
 
と言うので、こんな話をしました。
 
 
 
 
 
 
知り合いに、念願のカフェをオープンした人がいます。
 
 
 
 
 
念願のカフェオープンではあるのですが、その人は、
 
 
 

お金を稼ぐ

 
 
 
ことに、嫌悪感を持っています。
 
 
 
 
けれど、貨幣経済の世の中では、お金は、どうしたって必要。
 
 
 
稼ぎたくはないけれど、食べてはいきたい。
(食べていかなくてはならない)
 
 
 
というのは、なかなかに難しい問題です。
 
 
 
 
 
 
そんな人は、こんなふうに考えてみてはいかがでしょうか?
 
 
 
 
 
 
 
 
自分は、念願のカフェをオープンした。
 
 
 
せっかくだから、一人でも多くの人に自慢のコーヒーを味わってもらいたい。
 
 
 
センス溢れる店で、ゆっくりくつろいでもらいたい。
 
 
 
そう考えて努力してお客さんが増えれば、
自慢のコーヒーやお店の雰囲気を味わってくださる方が増えます。
 
 
 
 
それは結果として収入増加にも繋がります。
 
 
 
 
けれど、その人にとっては
 
 
 

お金を稼ぐ

 
 
 
ためではなく、
 
 
 

一人でも多くの人に喜んでもらう

 
 
 
ことが目的。
 
 
 
 
これなら、
 
 
 

お金を稼ぐ

 
 
 
ことに否定的な感情を持っている人でも収入を増やすことはできます。
 
 
 
 
 
 
お金を稼ぐことに直接フォーカスするのではなく、
結果としてお金に繋がるなにか別のものにフォーカスすれば?
 
 
 
 
そう話すと、友人は
 
 
 
 

そっかぁ~ ハート

 
 
 
と、腑に落ちたようで、顔つきも明るく変わりました。
 
 
 
 
 
 
自分の中に折り合いのつかないものがせめぎ合っているときは、
ものの見かたや考え方を変えてみると、
意外と折り合える点を見つけ出せるものです。
 
 
 
 

マナーとルール

 
 
辞書で調べてみると、
 
 

マナー

 
とは、行儀・作法のこと。
 
 

ルール

 
とは、規則のこと。
 
 
 
 
ところで、わたしが思うに、そもそも……
 
 
 
昔々の昔、同じ地域で同じような感性を持ち合わせた人々の集合体では、
あえて規則なんて作る必要はなかったはず。
 
 
 
 
けれど……
 
 
 
例えば、
 
 
怪我をしたり、体調を崩した人が仲間にいれば手当てをしたりのように、
お互いに氣を使い合ったり、
あるいは、譲り合ったりということはあったはず。
 
 
 
 
そんな、いわゆるマナーというものは、
互いに仲良く気持ちよく暮らすための知恵として、
自然発生的に存在したのではないでしょうか?
 
 
 
 
けれど、だんだん人が増えてきて、社会が複雑になってくるに従って
マナーだけに頼っていられなくなり、生まれてきたのがルール。
 
 
 
わたしは、そんなふうに考えています。
 
 
 
 

ずるい

 
 
とか
 
 

えげつない

 
 
とか
 
 

失礼だな

 
 
といった感想を持つものは、マナーに反することが多いように思います。
 
 
 
 
昨今は、
 
 
ずるかろうが
 
 
えげつなかろうが
 
 
失礼であろうが
 
 
ルールに反しなければいいだろう
 
 
みたいな空気があるようで、なんだか虚しくなります。
 
 
 

ルール以前にマナーがある

 
 
と、わたしは思うのです。