振り込め詐欺か?

わたしは、どうも、いわゆる権威を笠に着て威張り散らす類いの人間が氣になって仕方ない、というか許せない、ある意味困った性格でして・・・

 

* * * * *

 

先日、用事があって新宿に行きました。

約束の時間まで、まだ少し間があったので、とある喫茶店に入ったのですが・・・

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わたしの席の斜め前の席に、二人の若者が向かい合って座っていました。

 

愛社精神がないヤツはだめだ。

 

とかなんとか聞こえたので、最初は就活中の学生が先輩の話を聞いているのかと思いました。

ところが、段々話がヒートアップしていきます。

どうも、会社の先輩が後輩に仕事、特に電話の応対について教えているみたいなのですが、その言い方が、なんとも気分が悪くなる感じで。

いやだなぁと思ったのですが、席が近いので、どうしても耳に入ってきてしまうのです。

汚い表現ですが、「胸くそが悪くなる」といった表現がピッタリくるような。

もしかして、振り込め詐欺のやり方でも教えてるんじゃないか⁉

と茶々を入れたくなるような言動が、次から次へと繰り出されてきます。

挙げ句に、

 

俺を見ろ

俺が話している時は、俺を見ろ

 

と、顔を赤くして、大きな声を出しながら、右手で自分の胸を叩き出したのです。

まるで、相手を威嚇しているときのゴリラのようです。

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そこで、ちょうど店を出る時間となりました。

わたしは、その席の横を通りしな、その先輩らしき男性の顔をじっと見て、

 

うるさい

 

と一言告げて、店を後にしました。

何も言わずに店を出るのが、多分最も安全で妥当な方法だったでしょう・・・

でも、一言言わずにはおれませんでした。

わたしの心の中には、もっと色んな言葉が渦巻いていたのですが、それらを全部言ったところで通じるとは思えなかったし、下手に言えば、

 

お前のせいで、俺が文句を言われた

 

と、目の前に座っているくだんの後輩に八つ当たりしそうだったし。

 

で、結局 “ うるさい ” という、わたしの素直な感想のみを伝える結果となりました。

 

* * * * *

 

わたしは、『言靈ワークショップ』というのをしています。

 

言葉は、すべて光の集まり。

言葉に、悪いものは一つもない。

言葉が人を傷つけたとしても、言葉に罪はない。

あるとすれは、それは、その言葉を使う人の思いにある。

 

これが、わたしの言葉に対する基本的なスタンスです。

人は言葉に自分の様々な思いを込めて使います。

だからこそ、言葉の本当の意味を知ることが大切だと思うのです。

本当の意味とは、辞書に載っている意味ではありません。

その言葉、一音一音に秘められたエネルギーのことです。

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言葉が美しい光の集まりと知るだけでも、言葉の使い方は変わるのではないでしょうか。

声の調子や表情のみならず、選ぶ言葉自体も変わるかもしれません。

回りまわって、その人を取り囲む環境すら変わる可能性があります。

もっと、言葉を知って大切にしませんか?

 

『言靈ワークショップ』については、こちら

 

決めつけない

真面目で真っ直ぐな人ほど、早急に結論付けたがる傾向があるようです。

 

『思い』が『現実』を創る

 

とは、よく言われることですね。

なにかに遭遇した時に、

 

あ、これは、ダメだな

 

と決めつけてしまうと、その決めつけた通りの現実を引き寄せます。

つまり、「ダメ」な現実をです。

 

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でも、引き寄せた本人は、意外と

 

ほら、やっぱりダメだった

 

と、納得しちゃってたりして・・・

ま、これはこれでいいと言えばいいんですけどね。

本人は納得してるわけだから。

でも、なんか、もったいないと思いませんか?

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つづきは、また・・・

 

 

世界記憶遺産

南京大虐殺が、ユネスコの世界記憶遺産に登録されたとのニュースを見ました。

南京大虐殺については、こんな思い出があります。

 

わたしが、かつて所属していた文芸サークルの先生のお話です。

その先生は、文芸評論家として大変素晴らしい方であるのはもちろんのこと、ユーモアのセンスもあり、わたしは大好きでした。

先生との出会いがなければ、今のわたしはなかったと思います。

 

その先生は、大虐殺が行われたとされる、まさにその時、南京にいらっしゃったそうです。

そして、

 

大虐殺なんて、南京のどこでも起きていなかった。

けれど、日本に戻ってきて、いくらその話をしても、誰も聞いてくれなかった。

 

その時の、残念そうな悔しそうな情けなさそうな先生の表情と声音。

それこそ、わたしの記憶遺産です。

木の葉と雫 - コピー

 

さて、冷静に考えてみましょうか。

 

歴史というのは、作られていくものです。

世界中の、どの国、どの地域、どの人々にとっても、公正で公平な歴史なんて、存在しません。

日本の歴史を振り返ってみても、みんながよく知っている豊臣秀吉、織田信長、徳川家康といった歴史上の有名人の人物像だって、結局は作られたものですよね。

秀吉なら秀吉の回りにいた全ての人々に聞き取り調査をしたわけじゃないし、もし、聞き取り調査をしたとしても、みんなの意見がてんでバラバラだったら、どう判断する?

結局は、それらを語り継いだ人々の気持ち(意図)次第…

 

* * * * *

 

わたしは、こう考えます。

今回の件で言えば、

 

今の日本を見てください

 

と言える日本になればいい。

そういう日本に、みんなでしていけばいい。

そうして、笑顔で胸を張っていればいい。

 

だって、 それしかないでしょう?

「なかった」と言う人がいても、聞き入れられず、「あった」こととして記録という事実に残ることになった。

そして、時計の針は巻き戻せない。

 

 

さて、これを、一人の人間の生き方に照らし合わせてみると、こうなります。

 

例えば、かつて誤解を受けたりといった、ひどく悲しくて悔しくて情けない経験をし、深く傷ついたとしましょう。

でも、人生は、そこで終わりではありません。

その後があります。

 

何年か経った時に、

 

今の自分を見てください

 

と言える自分になっていれば、それでいいんじゃないでしょうか?

そう言える自分へ向かう道を、選んで歩んでいく。

そうすれば、過去の出来事なんて、今の自分になんの影響も及ぼしていないことに気づくでしょう。

 

 

そうやって生きていけば、人生は必ず好転していきます !

 

自分の歴史=人生は、自分が作る。

森と日差し