決めつけない

真面目で真っ直ぐな人ほど、早急に結論付けたがる傾向があるようです。

 

『思い』が『現実』を創る

 

とは、よく言われることですね。

なにかに遭遇した時に、

 

あ、これは、ダメだな

 

と決めつけてしまうと、その決めつけた通りの現実を引き寄せます。

つまり、「ダメ」な現実をです。

 

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でも、引き寄せた本人は、意外と

 

ほら、やっぱりダメだった

 

と、納得しちゃってたりして・・・

ま、これはこれでいいと言えばいいんですけどね。

本人は納得してるわけだから。

でも、なんか、もったいないと思いませんか?

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つづきは、また・・・

 

 

世界記憶遺産

南京大虐殺が、ユネスコの世界記憶遺産に登録されたとのニュースを見ました。

南京大虐殺については、こんな思い出があります。

 

わたしが、かつて所属していた文芸サークルの先生のお話です。

その先生は、文芸評論家として大変素晴らしい方であるのはもちろんのこと、ユーモアのセンスもあり、わたしは大好きでした。

先生との出会いがなければ、今のわたしはなかったと思います。

 

その先生は、大虐殺が行われたとされる、まさにその時、南京にいらっしゃったそうです。

そして、

 

大虐殺なんて、南京のどこでも起きていなかった。

けれど、日本に戻ってきて、いくらその話をしても、誰も聞いてくれなかった。

 

その時の、残念そうな悔しそうな情けなさそうな先生の表情と声音。

それこそ、わたしの記憶遺産です。

木の葉と雫 - コピー

 

さて、冷静に考えてみましょうか。

 

歴史というのは、作られていくものです。

世界中の、どの国、どの地域、どの人々にとっても、公正で公平な歴史なんて、存在しません。

日本の歴史を振り返ってみても、みんながよく知っている豊臣秀吉、織田信長、徳川家康といった歴史上の有名人の人物像だって、結局は作られたものですよね。

秀吉なら秀吉の回りにいた全ての人々に聞き取り調査をしたわけじゃないし、もし、聞き取り調査をしたとしても、みんなの意見がてんでバラバラだったら、どう判断する?

結局は、それらを語り継いだ人々の気持ち(意図)次第…

 

* * * * *

 

わたしは、こう考えます。

今回の件で言えば、

 

今の日本を見てください

 

と言える日本になればいい。

そういう日本に、みんなでしていけばいい。

そうして、笑顔で胸を張っていればいい。

 

だって、 それしかないでしょう?

「なかった」と言う人がいても、聞き入れられず、「あった」こととして記録という事実に残ることになった。

そして、時計の針は巻き戻せない。

 

 

さて、これを、一人の人間の生き方に照らし合わせてみると、こうなります。

 

例えば、かつて誤解を受けたりといった、ひどく悲しくて悔しくて情けない経験をし、深く傷ついたとしましょう。

でも、人生は、そこで終わりではありません。

その後があります。

 

何年か経った時に、

 

今の自分を見てください

 

と言える自分になっていれば、それでいいんじゃないでしょうか?

そう言える自分へ向かう道を、選んで歩んでいく。

そうすれば、過去の出来事なんて、今の自分になんの影響も及ぼしていないことに気づくでしょう。

 

 

そうやって生きていけば、人生は必ず好転していきます !

 

自分の歴史=人生は、自分が作る。

森と日差し

『 違い 』と『 差 』

わたしは、26歳の時に最初の結婚をし、39歳で離婚しました。

この13年間の結婚生活を長いと見るか短いと見るかは、人それぞれでしょう。

けれど、後ろを振り向かず、新たな人生を開拓していく覚悟を決めるため、わたしにはこれだけの年月が必要だったのだと思います。

 

*****

 

この世には、単純に分けると『男』と『女』がいます。

『男』と『女』は、脳や体の構造(筋肉の付き方とか子宮があるとかないとか)に違いがあります。

違いから来る役割の違いもあります。

 

例えば、妊娠・出産は『女』にしかできないとか、重たいものを持ったりするのは、どちらかといえば『男』の方が向いているとか…

 

けれど、それらは、あくまで『違い』であって、『差』ではないと、わたしは思うのです。

 

重い物を持ち上げることのできる男の方が、持ち上げられない女より優秀なわけではありません。

 

同様に、出産をできる女の方が偉くて、出産できない男が劣っているわけではありません。

それらは、単に『違い』であって、『差』ではありません。

 

『違い』と『差』。

ここを、履き違えると、悲劇です。

 

『違い』は『区別』に繋がりますが、『差』は『差別』に繋がります。

 

今、振り返ってみると、前の夫は、『違い』を『差』と捉える傾向が強かったように思います。

 

※その辺りのことは、今後連載プロフィールの方で、じっくり書いていく予定です。

 

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『違い』と『差』。

 

人間一人ひとりも同じです。

勉強が得意な人間が、不得手な人間より偉いわけではありません。

足の早い人間が、遅い人間より立派なわけではありません。

それらは、『違い』。

これを言い換えると『個性』になります。

 

それぞれに個性があるわけですから、その個性を活かすための『区別』は必要です。

 

けれど、それが『差別』に繋がらないよう、心していきたいものです。