本は、面白いよ

LINEニュースに、こんな記事が……

 

 

 

 

全国大学生協連の調査だそうです。

 

アルバイトをする学生に読書時間ゼロが多いそうです。

 

また、高校までの読書習慣が全体的に身に付いていないことも一因とのこと。

 

 

わたしは、家庭環境のおかげもあって、

子どもの頃からたくさん本を読んできた方だと思います。

 

読書というのが、当たり前だったという感じ。

 

本好きが高じて、こんなことも……

 

 ⏩連載プロフィール『高校時代の思い出』

 

 

そんなわたしには、本に興味のない人の気持ちは、残念ながらわかりません。

 

でも、本を読むことの楽しさならお伝えできるかも。

 

 

 わたしが考える本の面白さは、

なんと言っても想像できる楽しさです。

 

 

文字と表現から、登場人物や風景を好き勝手に想像して楽しめる。

 

 

それが、なにより楽で楽しい。

 

 

そう、楽なんです!

 

 

想像するだけだから。

 

 

想像するのが面倒臭いっていう人もいるかもしれない。

 

 

でも、想像は創造に通じる。

 

 

登場人物や風景を想像できるなら、

将来の自分の姿や状況も創造できるのでは?

 

 

だから、

 

 

本を読もうよ!!

 

 

 

 

 最近買った本。

 

10年ぶりの友との再会

先日、友人と10年ぶりに再会しました。

 

彼女は、短大を出て就職した職場で、同期として働いた仲間です。

 

 

共に同じ職場で働きながら、たまに他の仲間とともに飲みに行ったり、

テニスやスキーの旅行にも何度も行きました。

 

わたしが職場でイジメに遭っていたときに、

慰めてくれた一人でもあります。

 

 

そんな友人が最近、わたしと同姓同名のごとうゆみこさんと知り合ったそうです。

 

それで、わたしのことも思い出し連絡をくれて、先日ランチを一緒にしてきました。

 

 

 

彼女と会ってよかったなと思ったのは、過去の思い出話ができただけではなくて、

今していることや興味のあること、そして未来の話もできたことです。

 

 

 

 

ところで、わたしは生きるということは前に進むことだと思っています。

 

生きるということは年齢を重ねることであり、

決して過去(若かりし頃)に戻ることはできません。

 

 

そういう意味でも、生きることは前に進むこと、

つまり本来ポジティブなものだと思っているのです。

 

 

 

そんなわたしは、友人と会って過去の話ばかりではつまらない。

 

 

 

今を生き生きと過ごしていて、

なおかつ未来に希望を語れる彼女との時間は、

だから、とても楽しかったのです。

 

 

 

彼女もまた、わたしと人生について語れたのが、とても楽しかったと言ってくれました。

 

 

 

OL時代のわたしは、いかにもキャリアウーマンっぽくて、

 

 

人生についてなんて話さなかったもんね

 

 

とも。

 

 

 

その頃のわたしは、家に生活費を入れつつ、結婚資金も貯めなくてはならず、

その上短大時代に借りた奨学金も返済しなければなりませんでした。

 

 

結構、必死でした。

 

 

そんな中で、みんなと飲んだり、旅行に行ったりするのは、とても楽しい時間でした。

 

 

 

その頃お年頃だったわたしたちの話の中心は、もちろん恋のことです。

 

 

彼氏と上手くいっているとかいないとか、最近のデートではどこへ行ったとか。

 

人生について語れるほど、長くは生きていませんでしたしね。

 

 

そして、まだ若くて未熟だったわたしは、きっといいカッコしいっでもあったのでしょう。

 

 

 

60年の人生で色々な経験を経て、今のわたしは、

 

 

自分らしくしていて大丈夫

 

 

ではなく、

 

 

自分らしくいていた方がいい

 

 

ことを知りました。

 

また、そういう環境を手にも入れました。

 

 

肩の力を抜いて、自分をさらけ出して生きれる喜び、

そしてその方が人に気持ちよく受け入れられる喜び。

 

 

そんなことに、改めた氣づかせてくれた彼女に感謝。

 

そして、彼女にわたしのことを思い出させてくれた、

もうひとりの『ごとうゆみこ』さんに感謝。

 


 

 

 

 

 

 

 

親の期待の、その先は

知り合いの、そのまた知り合いのお話。

 

その人(彼女)の御主人は、医者になりたかったのだけれど、

訳あって、苦労して弁護士になったそうです。

 

そして、その息子さんは医学部を目指すも、なかなか合格せず。

 

それでも二浪して、どうにかこうにか入れる医学部があったそうです。

けれど、そこでも留年を重ね、国家試験にも未だ合格できず。

 

経済的には余裕があるので、彼の預金口座の残高が心もとなくなると、

母親は、黙ってお金を振り込んであげている。

 

とのこと。

 

 

それで思ったことです。

 

もし、息子さんが今年の国家試験に受かったとして、

親にしてみれば、息子が医者になれば、それでめでたしめでたしなのでしょう。

 

けれど、医者になった彼の先には、これから出会う大勢の患者さんがおられるわけです。

 

彼は、そんな様々な事情を抱えた患者さんたちに寄り添う医者になれるのか。

 

 

なれない

 

 

と言い切ることはできません。

 

 

彼が、それまでの経験を糧として成長できれば、あるいはなれるでしょう。

 

それより何より、

 

彼は本当に医者になりたいのか。

 

そちらの方が大事です。

 

小さい頃から、親の期待を背負わされ、

 

自分は医者になるべきだ、

ならなければならない

 

そんな思い込みの中で生きてきたとすれば、そんな残酷な話はありません。

 

 

こども

 

 

子供

 

ではなく、

 

子ども

 

です。

 

 

子どもは、親の『(お)供』では、決してありません。

 

 

親として、子どもに期待してしまう。

 

というのは、あるでしょう。

 

けれど、どこかで氣がついて、その期待を良い形で手放すことができればいいなぁ。

 

わたしは、そう思います。

 

 

それにしても、親の期待は重くて切ない。