もめ事は避けたい

先日、夫とゴルフの打ちっぱなし練習場に行ってきました。

隣の打席には、ウチと同じく一打席を二人で使う夫婦が。

 

打席とベンチの間は、2メートル近く離れています。

周りで練習している人たちに迷惑をかけないように、なにか言いたいときは、どちらかが歩み寄っていって小声で話すのが練習場でのルールです。

ですが、彼らは互いが一球打つたびに、それぞれ打席とベンチに離れたまま、

 

お、いいんじゃない!

 

とか、

 

もう少し、こうやって打ったら

 

と、会話を交わします。

 

先ほども書いたように、打席とベンチの間は2メートルほど離れています。

それが、互いにその場所にいるまま声を掛け合うわけですから、どうしても声が大きくなり、うるさいことこの上ない。

 

夫婦仲良くゴルフの練習場にやってくるのは結構なことですが、周りにとってはいい迷惑です。

 

 

1時間くらいは我慢していたでしょうか。

 

とうとう夫が、お隣のご主人に

 

申し訳ありませんが、もう少し小さな声で話していただけませんか

 

と、声を掛けました。

 

 

あ、どうもすみません

 

と言って、そのあと声のトーンを落とせばいいだけのことです。

 

ところが、このご主人、

 

 

なになに、どうしたの

 

 

と寄ってきた奥さまに、

 

 

しゃべるなってさ

 

 

と言ったのです。

 

 

この一言に、わたしの方がカチンきてしまいました。

 

わたしは、献血では「成分献血になるので時間がかかります」と言われるほど血は薄いのですが、血の気は多い。

 

いい年をして、その子ども染みた言い草は何なんだと腹が立ち、

 

 

しゃべるなとは言っていません。

夫婦二人の会話なのだから、もう少し小さな声でも聞こえるのではありませんかと申し上げたんです。

 

と、きっぱりと言い返させていただきました。

 

 

ほどなくしてその夫婦は帰っていきました。

 

面白いことに、彼らは、こんな掲示板の前の打席でした。

 

 

 

さてさて、これも、互いに人間同士だからこそ。

 

時間がくれば、いずれかどちらかが必ずいなくなるので、その場のやり取りだけで事が済みます。

 

けれど、これが国だったらどうでしょう。

 

いくら、

 

もう少し静かに願えませんか

 

とお願いしても、それがその国の利益に反することならば聞き入れてはもらえないでしょうし、時間が来たからといって国ですから動くはずもなく、ずっとそこにあり続けます。

 

そんな小競り合いがヒートアップすれば、戦争にだってなりかねません。

 

 

 

まずは、自分の国の文化を理解し愛すること。

それは、どの国にも、その国の人々が愛する文化があることを理解し尊重することにもつながる。

そうすれば、もっと世界は平和になる。

 

本気でそう考えるわたしは、もしかしたらとても楽天的でのんびり屋なのかもしれません。

でも、そんな氣持ちを大切にしたいと思います。

そして、そのために自分に何ができるかを考え、行動したいとも思っています。

たぶん、ことだま講座なども、その行動のうちの一つ。

 

だって、

 

言葉は文化

 

なのですから。

 

 

 

 

 

自惚れよう

先日、友人の色鉛筆画が入選したというので、新国立美術館で開催されている日美展に行ってきました。

彼女は全くの独学で色鉛筆画を描き始め、展覧会に応募するたびに入選しています。

 

今回は、初めて色鉛筆画からも大賞が出たということでした。

これまで、色鉛筆画の大賞作品が出なかったのは、油絵や日本画などに比べると少し迫力に欠けるからかと、

勝手に想像していました。

ところが、今回はは大賞作品が出たのです。それがどんな作品なのかにも興味津々でした。

 

 

友人の作品は得意の人物画で、いつもながらの素晴らしい出来栄えでした。

彼女の描く花の絵も好きですが、本人は人物を描くのが好きなようです。

 

 

 

そして大賞作品は、苔むした石段を描いたもの。

(写真はありません)

 

石段は苔の緑に覆われています。

石段を取り囲む草むらも、やはり緑。

キャンパス一面緑色なのですが、みんな違う緑。

 

それぞれの緑が、それぞれの美しさ・爽やかさで輝いています。

 

日の光の当たり具合もよく描けているし、この作品、わたしは好きです。

 

 

例えば、同じ小説でも推理小説と時代小説、どちらが優れているかなんて決めることはできません。

それと同じで彼女の作品と大賞作品、同じ色鉛筆画でも、扱っている題材も描き方も違うので、

単純に比較することはできません。

それにわたしには、それほど絵の知識がないので、技術的にどうとかという話はできません。

 

 

今回の結果は、こうだった。

と思うしかないのかなと。

 

 

 

彼女から来たのメールには、こう書かれていました。

 

 

その作品のよさ、今一つわからず・・・

(中略)

色鉛筆画を十分に評価してくれる展覧会とは思いますが、自分の作品は客観的に見れないものなのでしょうか。

 

 

わたしは小説家を目指していましたが、自分の作品を100%客観的に見ることなんてできませんでした。

 

書き上げた時は、

 

すごい傑作が書けた!

こんな作品、この先もう書けないんじゃないか。

わたしって、すごいかも

 

なんて、書き上げた興奮冷めやらないなかで思ったりするのですが、

時間が経って読み返してみると赤面ものです。

いえ、それ以前に、もう恥ずかしくて読み返す勇気すら、なかなか持てない。

 

 

そんなことの繰り返しでした。

でも、それでいいんじゃないかと思います。

 

書き上げた時は自惚れて、自惚れるから応募する勇気が持てるのです。

 

そして、時間の助けを借りて作品を客観視できるようになるからこそ、

「今度こそ、いい作品を書くぞ」という新たなエネルギーも湧いてくるのです。

 

わたしは、そう思います。

 

 

継続は力なり

 

という言葉があるように、続けていけることが何より大切なのだと思います。

 

わたしはもうほとんど小説を書くことはなくなりましたが、

彼女にはずっと色鉛筆画を描き続けていって欲しいと、一ファンとして、切に願います。

 

 

お金の計算

わたしがブログでお金について書いたことは、ほとんどありません。

 

 

お金は一生回り続けてくれれば、それなりに生活できたということだから、それでいいかな

 

と考えているからです。

 

 

 

お金の流れが大きいときは大きく使い、小さな流れになれば小さく暮らせばいい。

 

とも思っています。

 

ほんの小さな流れの中で暮らしたこともあるし、その頃の自分のことも結構好きだから。

 

⇒42.贅沢な休日の過ごし方

 

 

ですが、ふとある人のことを思い出したので、ちょっと書いてみたいと思います。

 

その人は、今から15年くらい前に仕事の関係で知り合った男性です。

彼は吉祥寺大好き人間で、住まいももちろん吉祥寺でした。

 

一度、みんなで遊びに行こうということになり、訪れたことがあります。

 

そのマンションは、一応?吉祥寺駅から徒歩圏内にある2DK。

2DKと言っても、正直かなり狭かったです。

それぞれの部屋の広さは、たぶん4.5畳と6畳。

たぶんというのは、とにかく所狭しとダイニングテーブル、ソファ、ベッド、テレビなどが置かれていて、

いまいちよくわからなかったからです。

はっきり言えば、わたし好みの住まい方ではありません。

 

そして、幹線道路沿いに建っているため、窓を開けると騒音と排気ガスがひどいとのことで、

1日24時間、1年365日、窓は閉めっぱなし。

エアコンフル稼働。

これも、私的にはかなりつらい状況です。

わたしが住まいを探すときの譲れない条件のうちの一つが、窓を開けた時に風がスーッと通ることだからです。

 

 

いやいや、マンションについて書きたいのではありません。

今日は、お金についてです。

 

さて、彼はそのマンションを20年ほど前に1500万円くらいで買ったそうです。

そして、彼は、そのマンションを買った時の値段で売ることを、本気で考えていました。

 

 

え~?!

 

 

と思いました。

わたしには、彼の発想が理解できなかったからです。

 

もちろん、マンションを転売して儲けている人も、この世の中にはいるでしょう。

それがいいとか悪いとか、そんなことを言いたいのではありません。

お金についての考え方は、人それぞれ。

それでいいと思います。

 

なので、これはあくまでわたしの考え方に照らし合わせた、個人的な見解です。

 

 

さて・・・

 

もし、彼のマンションの近くで同程度のマンションを借りたとしたら、家賃はいくらくらいでしょう?

 

知りません。

わかりません。

 

なので適当に10万円としましょう。

その方が計算が簡単だからです。

 

さて、1カ月10万円だから1年で120万円。

20年住んだら2,400万円です。

(更新料は計算外です)

 

あ~、やっぱり賃貸より、分譲だね。

 

 

いえいえ、そんなことを言いたいのではありません。

 

 

つまり、わたしは、

 

彼は十分に元は取った

 

と考えます。

 

なのに、なんで、まだ買った時の値段で売ることを考えるのだろう?

 

 

 

先ほども書きましたように、これには、色々意見はあるでしょう。

 

 

でも・・・

 

 

彼は、そのマンションに住み続けた20年を、どう捉えているのでしょうか。

 

わたしには、彼が、そこに暮らした20年分の自分を認めていないように感じられたのです。

それが、なんだか妙に心に引っかかったのでした。

 

 

確かに長年住んだマンションが、思わぬ高値で売れれば嬉しいですよね。

 

でも、それ以前に、そこに住んだことで受けた恩恵に、まず目を向けないと。

どんなに辛いことがあったとしても、そこに暮らした自分を認めないと。

 

わたしは、そう思います。

 

 

私が今でも彼のことを氣にかけるのは、たぶん、彼が家庭的に恵まれなかったとか、

大病を患い、それが元で離婚をしたりと、色々と大変な人生を歩んできた人だと、

後日、人づてに聞いたからかもしれません。

あの狭くて、窓も開けられないマンションでも、彼には多くの思いの詰まった場所だったのでしょう。

 

 

 

 

そんな彼のことを、ふと思い出しました。

 

 

彼は、今でもあのマンションに住み続けているのだろうか。

それとも、別のところに移って、新しい人生の扉を開けただろうか。

 

 

 

 

彼がその後、どんな人生を歩んだのか。

今は知る由もありません。

 

 

固くなった心を解きほぐす、

 

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9月スタートです。

 

詳細は近日中に、公開します。