もっと話そう

今朝、バスの車内で、こんな光景を見ました。

 

小さな男の子を連れた、そのお母さんは、まだ若くて大人しそうな方でした。

 

男の子が、バスに飽きたのか愚図り出すと、お母さんは男の子の体を揺すったりしてあやすのですが……

 

その間、ひと言も言葉を発しない。

 

 

この方は、元来ほんとに大人しくて口数の少ない方なのかもしれません。

 

 

さて、もう少し前に地下鉄で出会った光景です。

 

車両の端の優先席に、乳母車をひいた若いお母さんが乗ってきました。

 

優先席のドア側には年配女性が既に座っています。

(この女性も、席を変わってあげればと思うのですが)

 

若いお母さんは、乳母車をドアの席寄りに置きストッパーを掛けると、年配女性の横に座り、スマホをいじり。

 

 

え、そうなの

 

と思いました。

 

 

いくらストッパーを掛けたとはいえ、揺れる車内で乳母車の側を離れるというのが、わたしには理解できないし。。。

 

だから、年配の女性が席を変わってあげればと思ったわけですが。

 

離れた席から心配そうに乳母車を見ているならまだしも、スマホいじりかよ。

 

と。

 

もちろん、乳母車には赤ちゃん乗ってましたよ。

 

 

会話って、すごく大切だと思うのです。

 

特に、子どもと親との生きた会話。

 

子どもは、親との生きた会話を通して、言葉の使い方を学びます。

 

言葉と、発せられる波動とのセットで、言葉の使いどころを学ぶのです。

 

これは、たた

 

 

 

 

言葉は全てであって、全てでない

先日の<思いつきのひと言>に書いたことを、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

 

<思いつきのひと言>

 

 

 

まず今回は、言葉は全てであって、全てではないということについてです。

 

 

言葉が全てではないということですが、たとえば、

 

この言葉さえ唱えていれば、幸せになります

 

 

といって、ある言葉をひたすら唱えるだけでは、やっぱり幸せにはなれないと思うのです。

 

その言葉を唱えている自分の心の状態が大切だからです。

 

どこかで、疑いの気持ちを持ちながら唱えたところで幸せはやってきません。

 

 

けれど、心の在り方に影響を与えるという点で、言葉を唱える意味はあります。

 

 

 

それでは、言葉が全てといのは、どういうことでしょうか?

 

 

言葉

 

 

と聞いて思いつくのは、どんなことでしょう。

 

多くの人は、会話を想像するのではと思います。

 

つまり、人とやり取りするために使うもの。

 

 

でも、考えてみてください。

 

 

わたしたちは、何かを感じたり考えたりするときにも、言葉を使っています。

 

ふと心にわき上がる思い。

 

それも、言葉を伴っています。

 

 

あれこれと巡らす考え。

 

 

そこにも、言葉が存在しています。

 

 

つまり、わたしたちは、たとえ一人きりでいたとしても、そこには常に言葉があります。

 

わたしたちは、常に言葉と共にあるのです。

 

 

だからこそ、言葉は大切なのです。

 

 

言葉には、言霊というエネルギーが込められています。

 

言葉というより、そもそも50音の1音1音に固有のエネルギーがあり、言葉はその集合体です。

 

 

このエネルギーの捉え方が大切です。

 

 

たとえば、

 

 

 

 

というエネルギーに、あなたはどんなイメージを持ちますか?

 

 

 

暗闇を照らすもの

 

 

というイメージが、強いかなと思うのですが、果たしてそれだけでしょうか。

 

 

疲れて休みたいときの光は、あまり有り難くありませんね。

ゆっくり休むには、暗い方が落ち着きますね。

 

 

エネルギーには、いいも悪いもありません。

 

状況に応じた使い方が重要です。

 

 

 

普段、口にするだけでなく、思ったり考えたりするときにクセになっている言葉はありますか?

 

その言葉には、どんなエネルギーが込められており、そして、あなた自身、どんなイメージを持っていますか?

 

 

一度、じっくり振り返ってみることをおすすめします。

 

 

近々、そんな振り返りに役立つワークショップも開催する予定です。

 

 

興味のある方は、ぜひご参加ください。

知らないなんて、もったいない

わたしが、日本語やことだまに関する講座や

ワークショップをしていると言うと、

 

 

国語が苦手だった

 

 

とか、

 

 

国語が嫌いで

 

 

とおっしゃる方が、結構いらっしゃいます。

 

 

 

でも、それは多分”国語“という教科が苦手だったり、

嫌いだったということだと思うのです。

 

 

その気持ちは、わかります。

 

 

わたしは、英語という教科が嫌いだったし、苦手だったから。

 

 

それは、国語や英語ではなく、

文法の授業がつまらなかったからでは?

 

 

国語が大好きで、得意でもあったわたしですが、

文法は苦手でした。

 

 

文法的に正しい文章を書いたり、

話したりするのはできるのに、

 

例えば、

 

 

書く

 

 

だけを取り出して

 

 

 

活用させなさい

 

 

 

と言われると、とたんにわからなくなるのです。

 

 

 

そこだけ切り取ってどうこうしろと言われても……

 

 

 

って感じでした。

 

 

 

 

ただね、国語が苦手とか嫌いという人でも、

日本語ご苦手とか嫌いというわけでないと思うのです。

 

 

 

当たり前に使っているから、好きも嫌いもないのが

本当のところなのでしょう。

 

 

 

けれど、言葉には、

 

 

本人の思い

 

 

は、もちろんのこと、

 

 

環境に関する情報

 

 

 

 

民族や家族などの思い

 

 

までもが、ギュッと詰め込まれているのです。

 

 

 

だから、その中身を知らないで、

ただ使っているだけなんてもったいないと、

わたしは思うのです。

 

 

 

そして、

 

 

知れば、きっと好きになる。

 

 

好きになれば、

どんどん使いたくなる。

 

 

どんどん使えば世界が広がる。

 

 

つまり、

 

 

人生の幅が広がる。

 

 

ひいては

 

 

新しい人生の扉も開けられる。

 

 

わたしは、そう信じています。