告白

告白します!

 

かつて、わたしはお巡りさんに捕まったことがあります。

のみならず、そのお巡りさんに悪態をつきました。

 

 

 

それは、わたしが離婚したての頃のことです。

離婚できたてホッとする氣持ちと同時に、心の中には不安や心配が渦巻いていた、そんな時期の出来事です。

 

 

 

その時わたしは車を運転していました。

辺りは極めて見通しのいい、人はおろか猫の子一匹いない田舎道。

道路の先には、『一旦停止』の交通標識が。

 

 

もちろん、どんなに見通しのいい、人はおろか猫の子一匹いない道だって、わたしは交通ルールを守ります。

一旦停止ラインでキュッとブレーキを踏みました。

そして左右を確認すると、ポンっと発信したのです。

 

突然、草むらの陰から現れた一台の白バイに車を止められました。

 

なんで?

 

 

不信顔で見ると、まだ年若いお巡りさん。

 

 

運転手さん

 

 

お巡りさんが話しかけます。

 

 

あそこ一旦停止だったの知ってますよね

 

 

はい。わたしちゃんと止まって左右を確認しましたけど

 

 

いえいえ、止まるというのは、今のこういう状態を言うんですよ。

 

 

はぁ ?

 

 

嫌がらせかと思いました。

難くせつけられている氣分になりました。

 

確かにキュッ・ポンだった。

確かに、今のような状態では止まらなかった。

 

 

でもね

 

だけどね

 

あのね

 

 

だいたい、こんな田舎道でいかにも人が違反しそうな場所で張っててさぁ、他にもっと捕まえるべき人間はいるんじゃない?

 

というのが、その時わたしの正直な感想。

 

 

 

 

お巡りさん、あなた、わたしが軽自動車に乗っている女だから捕まえたんでしょ

こんな田舎道より広い道路で、もっと危ない運転している車はいっぱいある

だいたい、わたしは、これまでヤクザが捕まっているところなんて見たことがない

お巡りさんは、わたしが女で捕まえやすいと思ったから、捕まえたんでしょ

 

と食って掛かりました。

 

 

なんせ、わたしは離婚したての精神状態も不安定な時期。

 

 

 

すると、この若いお巡りさん、

 

 

そんなことはない。

僕はヤクザだって、ちゃんと捕まえる

 

 

って、言い返してきたんです。

 

「なんなのよ」とばかりに、わたしも言い返します。

 

 

だいたい、わたし離婚したばかりで、もし事故を起こしたって悲しむ人なんていない

だから、どうでもいいんです

どうなったって構わないんです

 

 

ほとんど八つ当たり。

荒んでいたんですね。

 

 

すると、彼はこう言いました。

 

 

何を言うんです。

あなたが元気でいてくれれば、僕は嬉しい。

 

 

え?

 

 

今、なんて言いました?

 

 

あなたが元気でいてくれれば、僕は嬉しい

 

 

って、言いましたよね。

 

わたし、思わず泣いてしまいそうになりました。

 

 

冷静に考えてみれば、実家の家族や友人など、わたしを氣遣ってくれる人たちはいたはずです。

でも、その頃のわたしは、

 

味方なんて一人もいない

一人っきり

 

そんな氣分でした。

 

 

そこに、

 

あなたが元気でいてくれれば、僕は嬉しい

 

 

って。

 

 

そんな優しいこと言って…

この言葉が心の中にじわじわと広がって、泣きそうになったのでした。

 

と同時に、

 

 

警察官って、こんな話方も学ぶのか

 

 

と思う気持ちもあったりして。

 

どこまでも、言葉に対する興味の尽きないわたしなのです。

 

 

結局、わたしの状況に同情してくれたのか、あるいは違反というほどのことでもなかったからなのかはわかりませんが、違反切符を切られることはありませんでした。

 

 

こういう後が一番危険なんです

すぐに走り出さないで

ここで深呼吸を2~3回してから発進してくださいね

 

 

お巡りさんは、そう言って走り去っていきました。

 

 

心が荒んでいる時は、ついひねくれたことを言ってしまいがち。

でも、そんな荒んだ心にも、温かい言葉はちゃんと届くのだなぁ。

 

わたしの実感です。

 

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言葉のチカラ

あなたの人生をお天気に例えると、何でしょうか?

 

わたしの人生は、落雷、大雨による通行止め土砂崩れ、避難所生活から洪水を経て、今は小春日和の日々。

60歳を目前に、ようやく手に入れた居心地のいい場所で、のんびりと穏やかな生活を満喫しています。

 

雨が降れば傘をさすように、人生での急な天候変化にも傘の役割をするものが必要です。

それは、占いであるかもしれません。

ワークショップや講座であるかもしれません。

あるいは、自己啓発本の類であるかもしれません。

 

なにをツールとして雨をしのぐとしても、最終的には、自分でさせる傘を手に入れること。

これが、一番大切なのではないでしょうか。

 

自分の人生は自分にしか生きることはできません。

だとするならば、人生における傘もまた、自分でさせること。

これが、幸せに至るための最重要ポイントです。

 

 

 

わたしは新聞記者だった父と読書好きの母のもと、三人兄弟の末っ子として生まれました。

 

小学生の時の趣味は、国語辞典をひくことと教科書の音読でした。

 

大人になってからは、音読ボランティアに精を出したり、小説家になるべく本気で創作活動に励んだこともありました。

 

そんなわたしの人生には、いつも言葉がありました。

もちろん、言葉は勇気を与えたり、励ましてばかりしてくれたわけではありません。

人からの心無い言葉に傷ついたことも一度や二度ではありません。

 

 

 

言葉の海を泳ぎながら、わたしの関心は言葉から日本語へ。

日本語から言靈へと移り変わっていきました。

 

日本は古来より「言靈の幸ふ國」と言われてきました。

言靈の幸ふ國の住民であるわたしたち日本人は、意識するしないに関わらず、言靈の存在を感じながら暮らしています。

受験生の前で「落ちる」とか「すべる」といった言葉を使わないようにしよういうのは、そんな意識の表れですね。

 

そんなわたしが、子どもの頃から積み重ねてきた日本語に関する知識と、新たに学んだ言靈の知識とを融合させた≪ ことだま講座 ≫ を始めたのが、3年前です。

当初は、≪ 50音の秘密 ≫というネーミングでした。

 

それから、新たな知識に出会うたびに中身の見直しを重ね、今の≪あけと流ことだま講座 ≫ となっています。

 

明日から9月。 

 

9月中には、さらバージョンアップした≪ ことだま講座 ≫ のご案内ができると思います。

一人でも多くの方が言靈や日本語の素晴らしさに氣づいていただけますように。

そして、言葉のチカラを身に付け、人生の新たな扉を開いていただけますように。

 

 

なぜ、言靈ワークショップなの?

電車などに乗っていると、外国語のスクールの広告をよく見かけます。

某企業が社内公用語を英語にしたとして話題になったこともありました。

学校教育の現場でも、少しでも早い段階から英語を身につけさせようとの取り組みが行われているようです。

 

さて、それらは、すべて言葉の『伝える』という側面に焦点を当てた、つまり『道具』としての言葉に関すること。

わたしたちが学校の授業で学んだ『国語』も、また『道具』としての日本語の授業でした。

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けれど、言葉には、『道具』としての側面のほかに、もう一つとても大切な側面を持っています。

それは、『文化』という側面です。

 

世界には約3000の言語があると言われています。

なぜでしょう?

それぞれの場所や地域によって環境が違うからです。

環境が違えば、そこで生活する人々の感性も違います。

だから、そこから紡ぎ出される言葉も違ってくるのは当然です。

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わたちたちは、ともすれば言葉を伝達のための手段=道具のみと捉えがちです。

しかし、言葉にはそれ以前に文化としての重要な側面があるのです。

 

わたしは、主に『言靈ワークショップ』という名称で、日本語に関するワークショップを各地で開催していますが、これは文化としての日本語にもっと目を向けて欲しいと思っているからです。

 

わたしのしていることは、普通に日本で暮らしている圧倒的大多数の日本人にはなかなか理解していただけないかもしれません。

でも、わたしは、なにより日本語が好き。

そして、他の国の人々もきっと、自分の国の言葉が大好きだと思うから。

だから、日本人のわたしは日本語の素晴らしさを、微力ながらも伝えていければと思っています。

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