選考委員に逆ギレされる

わたしには、ふと疑問に思ったことを、つい口に出してしまい、

騒動になるということが、たまにあります。

 

つまり、わたしにとっての素朴な疑問が、誰かの神経を逆なでしてしまうということのようです。

 

 

 

 

 

初めての小説を書き上げたわたしは、なんとなく自分なりの小説の書き方が

わかったような気がしました。

 

そして3作目の作品で四日市文芸賞に応募。

結果は佳作でした。

 

 

嬉しかった

 

 

 

いえいえ、生意気なわたしは、

 

 

なんで?

 

 

と思ったのでした。

 

常に全力投球のわたしにとって、たとえ3作目の作品であっても、

それはわたしの生涯の最高傑作なのです。

そう思えるまで、自分なりに磨いていくからです。

 

 

 

 

来年こそはきっと大賞を獲るぞ!

 

 

 

 

心に決め、翌年願い通り大賞受賞。

 

 

 

勢いに乗ったわたしは、続けて鳥羽市マリン文学賞に応募することにしました。

 

 

文芸賞に応募する際は、まずは応募要項をきちんと読みます。

 

募集するテーマ・原稿枚数・締め切り期限、どれも大切な要件です。

 

 

 

 

さて、テーマは、

 

 

海の香りのする作品

 

 

でした。

 

 

前にも書いたように、わたしの作品は実体験に基づいてはいますが、あくまでフィクションです。

実体験というのは、直接体験とは限りません、本や舞台・映画などの間接体験も含みます。
逆に言えば、直接にしろ間接にしろ、体験したことしか書けませんよね。
体験していないことは、この世に存在していることすらわからないのですから、書きようがありませんものね。

 

 

 

テーマは、

 

海の香りのする作品

 

 

 

そこで、考えました。

 

 

海を直接書かずに、海の香りを表現できないか

 

 

と。

 

テーマをどう描くか考えるところから、すでに創作は始まっているのです。

 

 

 

 

書き上げたのは、ものすごく簡単に言えば、

鳥羽からデザイナーを目指して上京した女の子の成長を描いたものです。

 

 

 

 

結果は、地方文芸賞。

 

 

この賞は、大賞・佳作というのが入賞作品であるのに対し、主催が鳥羽市ということから、

三重県の応募者の中から1名だけ選ばれる、いわば地元民へのおまけの賞のようなものです。

 

 

 

これは、かなりショックでした。

 

 

う~ん

 

ショック

 

 

 

でした。

 

 

 

 

わたしの落胆ぶりを察したS先生からは、

 

 

色々思いもあるでしょうが、授賞式にはぜひ出席してください

 

 

と、わざわざお葉書をいただき、それで授賞式に出席することを決めたほど、ショックでした。

 

だって、入賞扱いでもないおまけの賞のために授賞式に出るなんて、

逆に恥ずかしいと思っていたからです。

 

 

 

この時の賞金は、10万円。

ちなみに大賞賞金は100万円。

 

 

副賞は、鳥羽市らしく真珠のネックレスでした。

これは、今も大切に使っています。

 

それから、授賞式当日のホテルの宿泊。

その頃は四日市に住んでいたので日帰りしようと思えばできたのですが、
せっかくなので泊まらせていただきました~

 

 

授賞式は、市の施設か何かだったと思うのですが、正直あまり覚えていません。

来賓も含めて結構な出席者数で、中々盛況だったようには記憶しています。

 

選考委員は確か6名で、わたしの好きな有名な作家の方もいらしたのですが、この日東京から来てくださったのは、2名。

 

失礼ながら、この2名の方々をわたしは存じあげませんでした。

 

 

賞の授与は無事終了。

そして、今年度の応募作品全般についての総評へと続きました。

 

 

壇上に現れた選考委員。

 

 

彼は開口一番、こう言いました。

 

 

 

海そのものを描いた作品が少なかった

 

 

 

?????

 

 

 

わたしの頭の中にたくさんの「???」が点滅しました。

 

 

 

 

だって、応募テーマは、あくまで

 

 

海の香りのする作品

 

 

です。

 

 

決して

 

 

海そのものを描いた作品

 

 

ではありません。

 

 

なのに、総評として「海そのものを書いた作品が少なかった」と言われたのでは、立つ瀬がありません。

 

 

 

海の香りのする作品

 

 

海そのものを描いた作品

 

 

この二つは同じようでいて、全然違うとわたしは思います。

 

 

 

わたしの頭は、混乱しました。

 

 

おかしい

 

おかしい

 

これって、おかしいよね

 

 

 

 

選考委員の総評が終わると、司会者の方が、

 

 

それでは、受賞者の皆さんからもひと言ずついただきましょう。

せっかくの機会ですから、選考委員の方への質問も、どうぞ。

 

 

 

 

大賞受賞者から順にマイクが回っていきました。

 

そして、最後にわたしのところにもマイクが回ってきました。

 

 

わたしは言ってしまいました。

自分の中に浮かびあがっていた素朴な疑問について。

 

 

先ほど選考委員の方から、海そのものを描いた作品が少なかったとのご意見がありましたが、

この賞の応募テーマは「海の香りのする作品」だったと思います。

もし、テーマが「海そのものを描いた作品」ということであったら、

わたしは今回のような作品では応募しなかったと思うのですが・・・

 

 

 

 

すると、くだんの選考委員が舞台の真ん中にドドーッとばかりに飛び出してきて、こう言いました。

 

 

 

あなたの作品には、これこれこういう欠点があった。

だから、入賞できなかったんだ。

 

 

 

舞台の上から、自分の作品の欠点を指摘されたのです。

 

 

 

びっくりしました。

 

 

 

悲しかったです

悔しかったです

恥ずかしかったです

 

 

 

泣いてしまいそうになりました。

 

 

でも、そういう気持ちの一方で、

 

 

 

なんだ、この選考委員は

プロの作家のくせに、素人の言葉に逆ギレしたりして

器が小さい

 

 

と思うわたしもいました。

 

 

彼の話は、わたしの意見に対する答えにはなっていなかったし、

なにより舞台の上から、その下に座っているわたしに向かって、

作品の欠点を指摘するなんて、最低。

 

 

 

 

あとから知ったのですが、彼はノンフィクションの作家でした。

 

ならば、総評ではなく、個人的意見として言えばよかったのです。

 

 

 

そうすれば、わたしの中にも賞の募集要項とずれているのではないかという疑問もわかなかったでしょう。

 

 

 

 

 

わたしたち応募者は、全員素人です。

 

素人ではあるけれど、賞に応募しようと思えば、真剣に書くのです。

自分らしさを出しながら、どう応募テーマを作品として仕上げるかと、

真剣に考えをめぐらすのです。

 

 

今振り返ると、わたしもずいぶん生意気だったなぁとは思います。

でも、無難にやり過ごすことが、そのときはできませんでした。

 

 

 

後日談ですが…

 

翌年から、応募テーマは、

 

 

海そのものを描いた作品

 

 

となりました。

 

 

 

 

それでいいんだ!

 

 

 

先輩にもの申す

人にはえてして、自身の経験だけが真実であると思ってしまう傾向がある。

 

そんなことを思い知らされたことがあります。

 

 

 

 

文芸サークルにいた頃に、野球場を舞台にした掌小説を書いたことがあります。

 

隣同士になった見知らぬ男女が恋に落ちるという、コミカルな作品でした。

 

文芸サークルの合評会で、会の重鎮O氏が、わたしの作品について、こうおっしゃいました。

 

 

この野球場の描写は嘘だ。

自分は何度も野球を見に行っているが、こんな光景は見たことがない。

嘘を書くな。

 

 

 

 

その方は阪神ファンで、よく甲子園に行かれるとのこと。

 

わたしはというと、前夫がドラゴンズファンで、名古屋球場には何度も行ったことがあり、そのときの様子を元に作品を書いたのでした。

 

 

 

 

人は往々にして、自分の経験したことだけが唯一の事実の思い込み、そこから得た真実だけを唯一の真実と勘違いしがちです。

 

 

 

 

 

けれど、そうでしょうか?

 

 

10人いれば10人なりの経験があり、それはその人にとっての事実であり、真実です。

 

ましてや、フィクションの世界である小説は、なんでもありの世界です。

 

にもかかわらず、自らも小説を書いている方が、自身の経験と違うからといって人を嘘つき呼ばわりするのは、おかしいのではないか。

 

 

そんなことを、後日S先生に書いて送りました。

 

主張というより、問いかけのつもりでした。

 

 

 

 

ところが、

 

 

 

翌月、サークルの会報誌を見てビックリ。

 

先輩にもの申す

 

という題が付けられて、わたしがS先生に送った文章が掲載されているではありませんか。

 

 

ガ~ン

 

 

それまで、わたしはO氏には、有望な若手が入ってきたと、どちらかと言えば目をかけられていました。

 

ところが、この日以降、完全に無視されるようになってしまいました。

 

 

 

 

 

さて、わたしは、S氏に書いて送ったことを後悔したでしょうか?

 

 

 

 

 

 

それでは、無断で文章を掲載したS氏を恨んだでしょうか?

 

 

 

 

 

 

なぜかといえば、わたしは自分のの考えを間違っていると思わないし、S先生に書いて送ったのも、 また事実。

事実から逃げるわけにはいきません。

 

 

わたしはわたしの考えや行動に、責任を持たなければいけないと思ったからです。

 

「書く」ということは、わたしにとって、そういう意味を持つことなのです。

 

 

 

 

なぜ、S先生が会報誌に載せたのかは聞かなかったのでわかりません。

なんで、聞かなかったんだろう~?

なんとなく、先生を責めるみたいで嫌だったのかなぁ~

 

 

自分が書いて送ったくせに、なんで載せたんですかと聞くのを潔しと思わなかったから。

 

たぶん、そういうことです。

 

 

 

 

 

もし、あのときO氏が、

 

 

自分もよく野球場に行くが、ここに書かれているのとは全然雰囲気が違うので違和感を感じた

 

 

とおっしゃっていたなら、わたしは素直に受け入れたと思います。

 

自分の描写が甘くて、読み手を説得できなかったのだと反省材料にしたと思います。

 

ところが、自分の経験だけを頼りに頭ごなしに嘘つき呼ばわりされたのが嫌だったのです。

 

わたしは、プライドが高く生意気なのかもしれません。

 

 

 

 

 

わたしにとって、プライドを持つということは、自分に責任を持つということと同義語です。

 

 

だから、S先生に書いて送ったことに関して説明も言い訳もせず、その結果(O氏に無視されるようになった)を受け入れる。

それが、わたしのプライドなのでした。

 

 

プライドは自己信頼からもたらされる。

 

わたしは、そう思います。

 

 

 

 

生まれて初めて小説を書く

雑誌LEEの読者レポーターに応募するために作文を書いたことで、わたしは子どもの頃文章を書くことが好きだったことを思い出しました。

 

 ⇒☆☆☆読者レポーターに選ばれる

 

 

書きたくて書きたくて仕方がなくなったわたしは、当時住んでいた四日市でとある文芸サークルに入ることにしました。

講師のS氏の人柄に惚れ込んだからです。

 

その文芸サークルでは、毎月S氏からテーマが出題されます。

そのテーマについて、エッセイでも小説でも良いので、原稿用紙一枚にまとめてくる。

 

そういう宿題です。

 

この宿題は任意であって、強制ではありません。

 

ですが、わたしは参加する以上、毎月必ず書いていこうと決めました。

 

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早くから書き上げられることもあれば、家を出る直前まで机に向かっていたことも何度もあります。

 

けれど、必ず書いていきました。

 

それが、楽しかったからです。

 

楽しくて楽しくて仕方がなかったからです。

 

 

 

 

そして、これがその後とても大きな意味を持ってくるのでした。

 

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精神的にきつかった結婚生活の中で、書くことが私の生き甲斐となりました。

 

原稿用紙の中で、わたしは自由でした。

 

わたしは書くことに、光を見出したのでした。

 

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そうして、一年が過ぎた頃、同じサークルのメンバーが四日市文芸賞で佳作や大賞を取っていることに氣がつきました。

 

 

わたしも、小説というものを書いてみようかな

書いてみたい

 

 

そう思いました。

 

 

わたしは小さいころから本を読むのが大好きでした。

なので、これまでこれまでに数えきれないほどの小説を読んできていたはずです。

ところが、いざ小説を書こうと思い立ったとき、途方に暮れました。

 

何から始めればいいのかわからなかったのです。

 

そこで、回りのすでに小説を書いている方々に、

 

 

小説って、どうやって書けばいいのですか?

 

 

と聞いて回りました。

 

みなさん口を揃えて、こうおっしゃいました。

 

 

人それぞれだから、好きなように書けばいい

 

 

けれど、わたしには、その「好きなように」のネタ元?が何もないのです。

色々知っていればこそ、そこから自分の『好き』を選び出すことができるのです。

 

何も知らないのですから、わたしはわたしの『好き』が何なのか、わかりません。

 

わたしは、いよいよ途方に暮れました。

 

そのとき、ふと思いついたのが、毎月書いていっていた一枚原稿の宿題です。

すでに1年は経っていましたから、12枚は書いたことになります。

 

 

そうか!

あの宿題を、同じテーマで書き続けたなら、原稿用紙12枚分の小説になるはずだ!!

それなら書ける!!!

 

 

そうして、わたしが初めて書き上げた小説は、原稿用紙20枚足らずのオムニバス形式の小品でした。

 

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