「マリンブルーな季節 2019 (最終回)」 16

   16

「で、結局、その山内さんて人は、それきり何処へ行ったんか、分からへんのか」

 12月の声を聞いた途端、街はクリスマス一色に染まっていた。

 真奈子は、東京のホテルでの研修を終えて、明日鳥羽へ帰るという哲也とともに、この夜東京タワーにいた。

 あの夜以来、山内の行方は、わからない。アパートにも行ってみたが、引き払った後だった。

 山内に連れていってもらった店を回ってもみたが、店主も常連客も一様に

「山内ちゃん、どこ行っちゃったんだろねえ」

と、顔を曇らせるのだった。

「それにしても、オマエも変わってんな。今時、東京タワーに上るカップルなんて、おらへんぞ」

「カップル? 今、カップル言うたか、カップルて。それ、誰のこと」

「オレらのことやないか。男と女が一緒にいたら、そらカップル言うんや」

「あほらし」

 哲也が、満足そうに微笑んだ。

「何、哲ちゃん。何、笑うてんの」

「真奈子。オマエ、なんや変わったな」

「髪、切ったし」

「オ、そういや、短こうなってんな」

「なんや、今、気がついたん。最低!」

「よう言うな。夏休みは、病人みたいな顔して帰って来たくせに」

「そない、ひどかった? 私」

「まあな」

 そう言うと、哲也は下を向いて「へへへ」と、1人笑った。

「なんや、気持ち悪い。都会の毒気にでもやらてしもたん」

「へへへ。あのな、もしな」

「なに、言いたいことがあるなら、早よ言うて」

「ああ、あのな。どうしようもなくなったらな、な、民宿のおかみさんいう手もあるでな」

「へ、なに、それ」

「いや、なに。真一がオマエのこと、えらい心配しとったで」

 お兄ちゃんーー。

 お兄ちゃんも、恋をしてたんだね。短い青春の中で、精一杯の恋を。たとえ報われることのない相手であっても、恋をするって素敵なことだよね。

 真奈子は、ネオンの海に向かって呟いた。

「なぁ、真奈子。無理することないで」

「……」

「しんどかったら、いつでも鳥羽に帰ってこいや」

「でも私、まだ東京に出てきたばっかしやし。そら、初めのうちは辛いことも一杯あったけど……けど、今は友だちもできたし、楽しいこともできてきた」

「そうか。なら、気の済むまで、もうちっと頑張ってみるか」

「うん」

「何たって、デザイナーだもんな、真奈子の夢」

「私、舞台美術、勉強しよう思うてんの」

「舞台美術? あのトンカチ持って」

「違う。それは、大道具やろ。わたしが言ってるのは、衣装の方や」

「あ、衣装ね。変や思たわ。それにしてもオマエ、いつの間に芝居好きになった」

 そう言うと、横目でちらりと真奈子を見た。真奈子は照れて、うつむいた。

「けど、オマエ嫌やないか、裏方なんて。役者さんが、こーんな綺麗な衣装着てライト浴びてんのに」

「あのなあ、哲ちゃん。ライトを浴びてる人だけが、美しいわけやないんよ」

 ねえ、そうだったわよね、山内さん。

 真奈子は心の中で、語りかけた。

 あなたの夢を語る顔が、あなたの一生懸命生きる姿が、何よりあなたの存在が、私に力をくれた。

「それより哲ちゃん、どう思う」

「は、何や、突然。そうやな、きれいになったな。髪短いのも、なかなか似合うてるぞ。うん」

「何言うてんの。誰もそんなこと聞いてへん。バカ」

「なんや、違うんか。ほな、何や。はっきり言えや。もう、恥かしいなあ」

「恥かしいのは、こっちや。あのな、ここからの眺め、どう思う?」

「ここからの眺めか。きれいなもんやな。うん、何にも見えん」

「何にも見えん?」

「ああ、何にも見えん。真っ暗な中にネオンだけがキラキラしとって、きれいや。でもな……」

「そう……」

「でも?」

「うん。でもな、その下には沢山の人たちがいてる」

「うん、そうや」

「その沢山の人たちが、みーんな家の民宿に来てくれたら…、ええなあ」

「あーぁ」

「なにが、あーぁや。大切なことやんか。お客さん来てくれなんだら、困るやないか」

「そりゃ、そうやけど。ま、ええわ。哲ちゃんらしくて、ええわ」

「なんや、それ。オマエがどう思う聞くから、一生懸命答えたんやないか。それなら、真奈子はどう思うんや」

「私? 私はなぁ。このネオンの下には、沢山の人たちがいてるやろ」

「なんや、俺とおんなじこと言うてるやないか」

「もう、うるさいなぁ。ちゃんと聞いて。ね、このネオンの下には沢山の人たちがいてる。私は、その沢山の人たちといっぱい、いっぱい出会いたい。好きになれる人も、なれない人も、全部ひっくるめて。そうして、その人たちのこと、もっともっと知りたいと思う」

 真奈子は、ネオン輝く東京の街を見下ろした。

 今もまだ、この広い街のどこかに山内はいるのだろうか。それとも、他の土地へ行っただろうか。そうしてまた、どこかの孤独な娘に、飲んだくれては夢を語っているのだろうか。

 そうだろう。

 いや、きっとそうに違いない。

 私は信じる。

 だから私は、もうあなたを探さない。

「なあ、真奈子。オレの前にも、おマエの前にも、それぞれに1本の道がある。どう行くかは、それぞれの自由や。もしかしたら、2人の道が交わるってことも、ないとは言えん」

「それって、もしかして、私の道の先に民宿のおかみさんが待ってるってこと。嫌や、そんなん」

「嫌やなんて。なにも、そんなはっきり言わんでも。ああ、もう、分かった分かった。オマエは、オマエの道に花でも植えながら、のんびり行けや」

「花か。そうやな。花、植えてこ。花一杯の道、作ろ」

「明日、オレ鳥羽に帰るけど、もしなんだったら、クリスマスイブ、また1緒に東京タワーに上るか」

「ううん」

 真奈子は首を横に振って、きっぱり言った。

「もう、東京タワーは卒業や! それより哲ちゃん、明日、帰るんやったね」

「ああ、今、そう言ったばかりやろ」

「なら、何かおごって。お腹空いたわ」

「はあ? オマエの方こそ、東京の毒気にやられたんちゃうか。まさに、花よりダンゴ!やんか。……ま、ええか」

「ほら、なにしてんの。お腹、空いたってば! 早よ、行こ」

「真奈子」

「なに」

「正月には、帰ってこいや」

「うん」

「よし、じゃ、行くか」

 哲也とともにエレベーターに向かいながら、真奈子はネオンの海に小さく手を振った。

 やがて、エレベーターが1階に着き、ドアが開くと同時に、車の音や人々の話し声といった都会の喧騒が、波のように一気に押し寄せてきた。

 この広い海原へ、真奈子は今、泳ぎ出す。

 

 

終わり

 

 

今回で、「マリンブルーな季節 2019」は、終わりです。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

本作をお読みになっての感想は、ブログメッセージ、

または、こちらまでお寄せいただければ幸いです。

http://yumiko-goto.com/contact

 

よろしく、お願いいたします。

 

 

「マリンブルーな季節 2019」15

15

 11月3日。真奈子は再び鹿鳴館にやってきた。

 山内がKIXのメジャーデビュー決定のニュースを知らないはずがない。どこかで、きっと聞いたに違いない。

 山内は来る。今夜、この鹿鳴館にきっと来る。真奈子は、確信していた。

 店の前に掲げられた看板には、グリーンのビロード地に《KIX メジャーデビュー決定! バンザイライブ》という金色の文字が躍っていた。

 前座のバンドが舞台に現れただけで、すでに満席、立ち見さえ出ている会場は、異様な盛り上がりを見せ、ことあるごとに「デビューおめでとう」のバンザイコールが飛び交った。

 しかし、真奈子はその渦に巻き込まれることもなく、ただひたすら舞台の袖をじっと見つめていた。今はどうなっているか知らないが、ここまでKIXの面倒を見てきたのは、山内だ。この場所に彼がいないわけがない。

 だが、いくら探しても山内の姿は見つからなかった。祈る思いで客席に視線を移してみたが、やはりいない。

 1人席を立って、楽屋口に向かう。

 あ……

 楽屋口に向かう廊下の奥まったところに、山内ともう1人、柱の陰になって顔は見えないが、人の気配がした。

 山内の深刻そうな表情に、真奈子の胸は騒いだ。

 そっと近づく。

 低い声が、切れ切れに聞こえてきた。

「手紙、書いたんだけどね……」 

 山内の声だ。

「……どんなに、君のこと……」

 とつとつと語りかけるような声が続く。

「できれば、ずっと……、ずっと見守って……。なあ、いいだろ、邪魔しないから。ね、ね。本当に愛して……」

「止してくれ! もう止してくれ」

 若い男の叫ぶような声がしたかと思うと、山内の体が激しく突き飛ばされて、よろけた拍子に壁に強く背中を打ちつけた。

「山内さん、あんたの気持ちは嬉しい。感謝もしてる。だけど、ダメだ。ダメなんだよ。俺たち、元々住む世界が違うんだ。無理なんだよ。なあ、頼むよ。忘れてくれよ」

 拝むように山内の肩を揺さぶる。その時、相手の顔が見えた。

 KIXのヴォーカルだった。

 真奈子の足が竦んだ。

「おい、いつまで話してんだ。もうすぐ出番だぞ」

 楽屋から見慣れない男が顔を出した。

 山内より若くて見栄えのする、しかしどこか意地の悪そうな顔の男だった。

「すみません、すぐ行きます」 

 ヴォーカルが、取り繕うような笑顔を見せて、男に言葉を返した。そしてお辞儀をするように軽く目を伏せると、そのまま無言で足早に楽屋奥へと姿を消した。

 うなだれていた山内がゆっくりと顔を上げる。立ち尽くす真奈子の強張った顔。二人の視線がぶつかった。

 山内の表情が一瞬凍りついた。が、次の瞬間、力なくニヤリと笑った。

「わかっ…ちゃっ……た…かな」

 乱れた髪を直そうともせず、歪んだネクタイもそのままに、自嘲気味な笑みを無表情な顔に貼り付けたまま、夢遊病者のような足取りで出口に向かうと、やがて夜の街に紛れて見えなくなった。

「海の泡になって、消えていく……」

 真奈子は、立ち止まったまま動けずにいた。

「変わりたいって、言ったやない」

 小さな声で呟く。涙は出なかった。

 虚ろな眼差しで出口を見つめる。街路では何も知らない人々が、無責任な足取りで忙しく行き交っている。

 のろのろと、重い足を引き摺るように出口へ向かう。

 美しく着飾った女たち。その女の肩に手を回し、浮かれた調子で歩いていく男たち。

 秋の夜風が足元をかすめ、落ち葉を玩ぶ。

「変われば良かったんや」

 見上げれば、星ひとつ見えない夜の空に、青白い月が寂しげにぶら下がっていた。

「なんで変わらなかったん。私では駄目やったん。なあ、駄目やったん!」

 通りすがりの男が、真奈子を振り返った。

 

 

 

 

「あ、お母ちゃん」

「なんや、真奈子かいな。めずらしいことも、あるもんや。あんたから電話してくるなんて」

「郵便小包、届いたで」

「そうかぁ。ちゃんと食べてるかぁ」

「ちゃんと、食べてるよ。それよりなあ、1つ聞きたいことが、あるんやけど」

「なに」

「あのな」

「なに、早よ、言いな。電話代、もったいないやろ」

「もう、お母ちゃんたら」

 いつもなら、そこで電話を切ってしまうのだっが、今夜は違った。

「お母ちゃん、電話代なんて心配せんでも、ええて。スマホの家族割りって……まあ、ええか。それより、あのな、私の名前な、どうやって付けたん」

「どうしたん、藪から棒に」

「なんだって、いいやん。知りたいん」

「そうか、言うたことなかったかいな。そうだったっけなぁ―」

 母は、何かを懐かしむような口調で続けた。

「お父ちゃんいうたら、生まれてくるのは男の子、思い込んどってなあ。そしたら、女の子やったろ。もう、慌ててしもて。そやそや、ああ、可笑し。だんだん思い出してきたわ。お父ちゃん、びっくりするやら、喜ぶやらで、大変やった。で、急いでお寺の住職さんとこ行って、ほら、あんたも覚えてるやろ、あの……あれ、なんだったけな、ほら、あの……」

「もう……で、その住職さんが、どないしたん」

「あ、ま、ええか。そいでな、その住職さんに名前考えてもろたん。5つ6つ、あったかいなー。で、お父ちゃんとお母ちゃん、2人してああでもない、こうでもない、毎日その名前眺めて相談してな。そうして決めたんよ。真奈子は眼や。世の中しっかり見て、幸せ掴んで欲しい思たんよ。どや、これで、ええか」

 涙で返事は出来なかった。

 ただ、黙って何度も何度も頷いた。

 

 

つづく

 

 

「マリンブルーな季節 2019」 14

14

 途中で店を出てきた真奈子は《鹿鳴館ロックフェスタ》で、KIXがどのような結果を迎えたのかを知らずにいた。

 あれから何度か、あちこちのライブハウスに行ってみたが、なぜかKIXの名前は、どの店の看板にもなかった。

 手がかりは、完全に失われた。

 山内に連れられて芝居を観に行ってから、真奈子は再びデザインの勉強に意欲を見出していた。

 今まで芝居などには興味もなかったが、あの日見た衣装が忘れられなかった。貧乏劇団が限られた予算の中で目一杯工夫した衣装が、真奈子の心に深い印象を残していた。

 人と違うもの、新しいもの。そんなものばかりを追い求めていたように思う。しかし、デザインとは、果たしてそうしたものなのだろうか。

 真奈子は自分の目の前に1本の道が、おぼろげながらも浮かび上がりつつあるのを感じていた。

 授業の遅れを取り戻すのは、容易なことではなかった。毎日休まず通っていても、付いていくのに必死だったのだ。だが、投げやりな気持ちには、不思議とならなかった。むしろ、その大変さを楽しむことができた。必死にがんばっている自分を、愛しいとさえ思うことが出来た。

 あれきり山内の消息は分からない。甘えたり、頼ったりできる人を失った代わりに、真奈子は夢を手に入れた。それは、まだ彼女をしっかりと支えることができるほどの根を張ってはいない。が、手に入れたのだけは、確かなようだった。

 連日の徹夜続きで、どうしようもないくらいに疲れていた。それでも明日までに絶対に仕上げなければならない課題があった。

 どんなに辛くても、どんなに心細くても、自分自身が頑張るしかない。真奈子は諦めとも開き直りともつかない気分になっていた。

 眠気覚ましにキッチンでコーヒーを入れると、FMラジオのスイッチを入れた。

「みんなー、元気でがんばってるかい。イエィ!」

 疲れて澱んだ深夜の部屋に、能天気なほどに明るい声が響く。

「ところで、つい先日盛大に開催された《鹿鳴館ロックフェスタ》、知ってるよね。行列作って聞きに行った暇人も、結構いるんじゃない? なーんてね。失礼しました。イェィ!」

 え、なに。

 慌ててラジオのボリュームを上げる。

「……。な、なーんと、新しいバンドの誕生だ。その名は、KIX。彼らの来年春のデビューが決まった。やったぜ、ヒュー! そ・こ・で・だ。KIXのデビューを記念して、鹿鳴館で11月3日、コンサートが開かれるよ。ずっと、KIXを応援してきた君も、そうでない彼女も、ぜひ行ってくれ! 頼むぜ、イエィ!」

 何?

 何て、言ったの。

 いま、何て言ったの。

 どうしたって、言うの。

 デビューが決まったって、今言ったよね。

 確かに、そう言ったよね。

 あの日、あの夜、山内を探して訪れた鹿鳴館のステージで、KIXは居合わせた関係者の目に留まったのだった。

 やったね。

 やったね。

 とうとう、やったんだね。

 真奈子はコーヒーカップを握りしめる両手に、力を込めた。

 

つづく