自分に『書く』ということがあって、良かったと思うのは、色々なトラブルに遭ったとしても、
ネタをありがとう
と言えることだと思う。
自分に『書く』ということがあって、良かったと思うのは、色々なトラブルに遭ったとしても、
ネタをありがとう
と言えることだと思う。
人の心に届くように話すとか書くって、
つまり、
その話したり書いたりする言葉の一つひとつに、魂をのせていくってことだと思う。
だからこそ、魂からの叫びというのが、どんなに拙い言葉の羅列であっても、人の心を揺さぶるんだね。
古い文芸仲間から、恩師の訃報を受け取った。
しみじみとした悲しみが、わたしの中いっぱいに満ちている。
たとえ、お会いする機会がなくても、師の存在そのものが、わたしの『書く』ことにおける支えだったから…
と同時に思うのは、
人の死について、しんみりと考えたり、思いにふけったりできるということは、ある意味とても幸せなことなんじゃないかということ。
あるいは、それだけ大人になったということか。
父が亡くなった時には、悲しみを感じる余裕がなかった。
というより……父の死を受け入れる勇気がなかったんだね、きっと。