知らないなんて、もったいない

わたしが、日本語やことだまに関する講座や

ワークショップをしていると言うと、

 

 

国語が苦手だった

 

 

とか、

 

 

国語が嫌いで

 

 

とおっしゃる方が、結構いらっしゃいます。

 

 

 

でも、それは多分”国語“という教科が苦手だったり、

嫌いだったということだと思うのです。

 

 

その気持ちは、わかります。

 

 

わたしは、英語という教科が嫌いだったし、苦手だったから。

 

 

それは、国語や英語ではなく、

文法の授業がつまらなかったからでは?

 

 

国語が大好きで、得意でもあったわたしですが、

文法は苦手でした。

 

 

文法的に正しい文章を書いたり、

話したりするのはできるのに、

 

例えば、

 

 

書く

 

 

だけを取り出して

 

 

 

活用させなさい

 

 

 

と言われると、とたんにわからなくなるのです。

 

 

 

そこだけ切り取ってどうこうしろと言われても……

 

 

 

って感じでした。

 

 

 

 

ただね、国語が苦手とか嫌いという人でも、

日本語ご苦手とか嫌いというわけでないと思うのです。

 

 

 

当たり前に使っているから、好きも嫌いもないのが

本当のところなのでしょう。

 

 

 

けれど、言葉には、

 

 

本人の思い

 

 

は、もちろんのこと、

 

 

環境に関する情報

 

 

 

 

民族や家族などの思い

 

 

までもが、ギュッと詰め込まれているのです。

 

 

 

だから、その中身を知らないで、

ただ使っているだけなんてもったいないと、

わたしは思うのです。

 

 

 

そして、

 

 

知れば、きっと好きになる。

 

 

好きになれば、

どんどん使いたくなる。

 

 

どんどん使えば世界が広がる。

 

 

つまり、

 

 

人生の幅が広がる。

 

 

ひいては

 

 

新しい人生の扉も開けられる。

 

 

わたしは、そう信じています。

 

 

 

最近、思うこと

これまでのわたしの人生は、常になにか課題が突きつけられるような人生でした。

 

けれど、ふと氣がついてみれは、わたしの人生から、

 

 

・・・ねばならない

 

 

がなくなっている。

 

 

いつの間に、こんなに氣楽になっているんだ!

 

 

 

確かに、

 

 

 

食事の支度

 

 

とか、

 

 

掃除

 

 

とか、

 

 

洗濯

 

 

とか、

 

日々やることは色々あるけれど、それらは決して

 

 

・・・ねばならない

 

 

ものではないし。

 

 

食事の支度は、たまに夫がやってくれるし、

面倒なら食べに行ったり、お弁当を買ってきたりしても、それもまた楽し……

 

 

という感じだし、

 

 

掃除だって、大人2人の生活では、

毎日やらねばならないほどには汚れない。

 

 

洗濯だって、洗うのは洗濯機がしてくれるし、

後は干して、乾いたら畳んで仕舞うだけ。

 

アイロンがけしなければならないほどの衣類はそうはないし、

扱いが面倒なものはクリーニングに出せばよし。

 

 

 

 

確かに、まだまだやりたいことはある。

 

 

ことだま講座

 

 

とか、

 

本を出版するとか

(これは、年末あたりに実現する予定)

 

 

 

とか、

 

 

久しぶりに小説も書いてみたい

 

 

とか。

 

あとは、

 

 

旅行

 

 

とか、

 

 

美味しいものを食べに行く

 

 

とか。

 

 

 

でも、それらは

 

 

・・・ねばならない

 

 

ものではないし。

 

 

 

 

すると、今度は

 

 

自分はどこに向かって行けばいいのだろう

 

 

という考えが頭に浮かぶ。

 

 

 

目的とか目標がないと落ち着かない性分なのか、貧乏性なのか。

 

 

 

そんなことをあれこれ思いつつ、

とりあえずはリフォーム後のわが家を整えるのに、

しばらくは夢中になりそうだ。

 

 

 

新聞で見つけた言葉

今朝の新聞に載っていた言葉

 

 

麻生財務大臣の謝罪?の言葉

 

 

 

「私としても深くおわびする」

 

 

なにが氣になったかと言うと、

 

 

として

 

 

 

 

 

 

文法的に分解してどうこう言うつもりもないしできないけど……

 

 

 

例えば、

 

 

財務大臣として深くおわびする

 

 

なら、わかる。

 

 

でも、

 

 

わたしとしても

 

 

って。

 

 

財務大臣として

 

なら、

 

 

財務大臣という立場にあるものとして

 

 

 

だから、わかるよね。

 

 

でも、そう言ってしまうと、

財務大臣としての責任を問われることになりかねないから

「財務大臣」という言葉は抜く。

 

 

すると、「わたしとして」になるんだな。

 

 

そして、「は」ではなく「も」をつけることで、

 

トーンを下げる

 

というか、

 

1歩後ろに下がる

 

というか、

 

 

おまけ的な雰囲気を漂わせる

 

 

ってことかな~

 

 

人間、素直に言えない、あるいは言いたくないときは、

色んな言葉を抜いたりくっつけたりして、

無意識に(意識的に)自分から遠ざけようとするよね。

 

 

 

なんてぇことを、あれこれ考えるのが、けっこう好きで……