奈良・京都の旅 その4

間が少し空いてしまいましたが、奈良・京都の旅、最終日です。

 

奈良と言えば仏像、京都と言えば庭

 

 

というのが、ざっくりとしたわたしの持つイメージですが、みなさんはいかがでしょうか?

 

 

さて、最終日にまず向かったのは、詩仙堂。

 

京都のお庭というと、難しい解釈が必要だったりすることもあるのですが、

こちら詩仙堂のお庭は、宗教観を特には必要としません。

 

 

かつてダイアナ妃も訪れたことがあるそうですが、

それは詩仙堂のお庭が難しい解釈なしに楽しめるからだそうです。

 

 

 

確かに……

 

 

ここは、いつ来ても何かしらの花が、必ず咲いているそうです。

 

 

あ、京都と言えば、もう一つ忘れてならないのが竹ですね。

 

 

そして、そのあと訪れたのは、下鴨神社。

 

 

神職の方に、珍しい場所もご案内いただきました。

 

 

十二単の着付けと舞も拝見しました。

 

 

 

それから八坂神社近くのイタリアンレストランにてのランチ。

 

 

 

そして、京都駅から新幹線で東京へと戻ってきました。

 

 

 

帰りの新幹線からも富士山が見えました。

 

 

連写で撮っていたら、水を張った田んぼに逆さ富士の写真が撮れていました~

 

ありがたや~

 

興福寺の天燈鬼があまりに可愛らしかったので連れ帰ることにしたら、

別のお店での買い物のおまけに龍燈鬼の絵はがきをいただき、阿吽が揃っちゃいました。

 

 

 

 

 

映画『ゲティ家の身代金』

色々な意味で、怖い映画でした。

 

 

 

実際にあった事件を元につくられただけに、余計に恐ろしいです。

 

そして、また「なるほど」と思える台詞に、

いくつも出会えた映画でもありました。

 

 

それにしても、お金というのは、

いくらくらい必要なのでしょうか?

 

 

現代は、貨幣経済の社会なのでお金は必要です。

 

お金がなければ、スーパーで大根一本買えません。

 

けれど、

例えば雪山にお札の束と共に放り出されても、

命は守れません。

 

 

 

ま、札束を体に巻きつけでもすれば、

多少寒さはしのげるかもしれませんが、

それよりチョコレート1枚の方がよほど助けになるでしょう。

 

同様に、トランクにぎっしり詰め込んだお金と共に無人島に置き去りにされたところで、

自ら海や山で何かを取らなければ、空腹を満たすことはできません。

 

そうやって考えてみると、

お金というのは、必要なものや欲しいものを手に入れるための、

道具のようなものだということになります。

 

 

だから、特に何も食べる必要がなかったり、

欲しいものがない場合は、お金など必要ないでしょう。

 

 

お金は、お金を得ることや

持つことが目的なのではなくて、

生きる上での目的や目標を達成するための、

ひとつのツールに過ぎないのです。

 

 

また、お金に振り回されるのは、

お金に困っている人だけではなく、

大金持ちも扱いを誤れば、

やはりお金に振り回されてしまうのですね。

 

 

 

それにしても、映画を観終わった後の疲労感といったら……

 

 

 

目標は勝つことか

若かりし頃、高校野球に熱中していました。

 

特に準決勝や準々決勝は、白熱した試合が多くて、興奮したものです。

 

ところが、決勝になると、意外と一方的な試合になることが多かったように思います。

 

振り返って考えてみれば、高校野球では、ひとつの高校で、優秀なピッチャーを何人も揃えることはできないから、どうしても、エースが連投することになり、決勝までくる頃には、体はボロボロになっていたのでしょう。

 

 

わたしが高校野球に熱中したのは、どちらかが勝って、どちらかが負けるからではなく、優勝に向かって、それぞれのチームが全力を出して戦う姿に感動していたからです。

 

 

 

本格的にスポーツをやる人は、やっぱり頂点を目指すでしょう。

 

それを目標にがんばるのでしょう。

 

そして、監督やコーチは、選手に勝つことの喜びを経験させるために、努力するものだと思うのです。

 

それかが、自らが優勝監督(コーチ)になることを目標にしたら、なにかが歪んでくると思うのです。

 

 

優勝監督という栄誉は、結果としてついてくるもので、目指すものではないと思うのです。

 

そして、確かに優勝するのは嬉しいし、負ければ悔しいのだけれど、どちらにも、それぞれの価値があり、それを教えるのも。特に学生スポーツのおいては、監督やコーチの大切な仕事だと思います。