映画「コード・ブルー」

泣けます。

ハンカチは必需品です。

映画「コード・ブルー」です。

 

 

初めに書いておきますが、わたしは山ピーのファンではありません。

 

なので、

 

山ピー、素敵!

 

とかいうことは、この先書いてありませんので、悪しからず……。

 

 

さて、テレビドラマとしての「コード・ブルー」は、リアルタイムでは見ていなかったのですが、

たまたま暇な時に夕方放映されていた再放送を見たら、それからはまってしまい、

その後ビデオに撮って、ずっと見続けたのでした。

 

 

どこが良かったかというと、

 

 

一人一人の登場人物のキャラが立っている

 

 

つまり、

 

 

物語に厚みがある

 

 

つまり、

 

 

見ごたえがあった

 

 

からです。

 

 

もちろん、こんな若くて腕のいい、

しかも美男美女揃いの医師や看護師のいる病院なんて、

あるわけねぇ~だろ

 

と頭ではわかっていますが、それらを差っ引いたとしても、

十分に楽しめるドラマでした。

 

 

今回の映画版も、とても面白かったです。

 

 

わっ

 

と思わず声を出しそうになる場面あり

心揺さぶられ涙の零れる場面あり

自分の人生と重ね合わせて、しみじみする場面あり

 

 

ただ、惜しむらくは、涙で鼻を詰まらせた夫のグズグズ鼻息に、

もう一つ物語に入りきれなかったことです。

 

もっと、ズッポリはまり込んで観たかった~!!

 

八咫烏に魅せられて ④

熊野三山(くまのさんざん)は、

熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称です。

 

今回の旅で熊野本宮大社と熊野那智大社には、すでに行きましたので、

3日目は、残る熊野速玉神社に加えて、花窟(はなのいわや)神社へとお参りしました。

 

熊野速玉神社は、朱色に輝く社殿の美しい神社です。

 

 

こちらの八咫烏

 

 

花窟神社は、鳥居の向こうに見える大きな岩がご神体です。

 

 

一人一人が元々持っているチカラを底上げしてくださるそうです。

 

わたしも、夫共々、底上げしていただけるようにお願いしてきました。

 

この神社では、毎年お縄掛け神事というのが行われ、

その縄がここに括り付けられます。

 

この縄に触れるといいことがあるそうで、もちろんしっかり触ってきました。

 

 

熊野三山それぞれには、熊野牛王神符「オカラスさん」という御神符があります。

 

わたしもいただいてきました。

こちらは、HPからお借りした映像です。

 

そして、熊野那智大社では、新しい御朱印帳も入手。

 

 

前々から行きたかった場所に、昨年から次々に訪れる機会に恵まれているのですが、

この熊野の旅もまた念願叶ってのものでした。

 

こんな嬉しい機会を与えてくださった天(神様)と夫に感謝。

 

 

 

ご感想をいただきました

 
連載小説『お由布』につきまして、丁寧なご感想を送ってくださった方が
いらっしゃいましたので、紹介させていただきます。
 
 
ごとう ゆみこ様

初めてメッセージします。
(中略)
幼くして両親を亡くしたお由布に、自分と重ね合わせて速いペースで読み進みました。
時代劇は、その風俗を描くのにかなりしっかりした下調べが必要であり、キチンと出来ているなぁ、と思いました。
時代モノは、多くはないですが山本周五郎、司馬遼太郎などを読んでいます。

お由布と清之助。うまく噛みあえば固い絆が結ばれる組み合わせの筈が、どうしても裏目に出る。この辺りの描写はよく描けていると思いました。
読者としては、お由布に肩入れするのが普通だと思いますが、清之助の側の気持ちが良く判ります。真面目にやって来た者ほど相手に厳しくなってしまう。女性とのつきあいもなく、あまり相手を知らないうちに夫婦になり、女房とはこういうものだという先入観に支配されている。
まるで俺のことか(笑)。
その辺りの事は小説の中でも説明されており、いろんなエピソードの中で少しづつ氷解して行くのかな?と思っていましたが、なかなかその距離が縮まらない。それがお由布の持つ「かたくなさ」なのか。

しかし体調不良で寝たり起きたりの女房に、清之助もけっこう辛抱強くガマンしてるなぁと感心。
この状況なら、もっと怒っている筈。その辺りは物事を理性的に考えて、それほど横暴な人間ではないという評価をしています。

お由布が包丁で自害しようとしたところが、この小説のクライマックスですが、その後の清之助の素っ気ない態度で、まるでなかった事の様に過ぎて行く。読者としては少し物足りないところですが、それが筆者としての狙いだったかも知れません。

貸本屋を介して知り合う幸吉については、次第に縮まる距離感が自然でいいと思いましたが、幸吉が飲み屋の帰りでお由布を抱きしめたところが、少し違和感。初めて一緒に飲食をした晩の行動としては早すぎる。
それに輪をかけて、あっさりお由布の心が幸吉に傾いて行くのも軽すぎる。

そして清之助と別れ、幸吉の住む長屋で夕餉を作って待つ。この畳みかけがあまりにも早くて、やや尻切れトンボの感がありました。あえて修羅場を描かないという手法があるのも判りますが・・・

ちょっと惜しいな、という印象です。
前半の描写で清之助の事を、子供の頃から奉公で苦労し女性、妻に対して固定観念はあるものの、情がないわけではないと表現しています。
別れの場面でも、それを活かす事は出来たと思います。
幸吉の存在を知り、怒って修羅場も起きるが、自分の力ではお由布の心を溶かす事が出来ないという事を納得して離縁に応じるという流れもある様に思う。
それか、幸吉の存在で修羅場が起きる事で、清之助の本心が吐露され、それでようやくお由布の心が開くという展開もあり得る。

あの流れで、お由布が何事もなく清之助と別れて幸吉と結ばれる、というのが何か「ハーレクインロマンス」的で、深く心に残らないというのが「惜しい」。

(後略)



Yさま(男性)より
 
 
 
 
勝手に一部省略してしまい、申し訳ありませんでした。
 
 
 
さて、本当に丁寧に読んでいただき、また感想までお送りいただき、感謝しております。
 
 
 
わたし自身、ハーレクインロマンスを読んだことがないので、
 
 
 
なるほど、これがハーレクインロマンスかぁ~
 
 
 
と、納得いたしました。
 
 
 
 
 
さて、小説の書き方は、人それぞれ。
 
 
わたしの場合、多くはラストシーンがまず頭に浮かび、
そこへ向かって話を積み上げていくというタイプです。
 
 
 
それから山場のシーン。
 
これも先に頭に浮かんできたシーンを、どこにどう入れるかを考えます。
 
 
 
頭に浮かぶシーンというのは、本当にその通りで、考えて創り出すわけではありません。
 
 
 
 

不意に浮かんだシーン

 
 
 
そこに惚れ込んで、
 
 
 
ああ、ここに向かっていく書いていきたい
 
 
 
という衝動に駆られて、時代設定・人物設定を考えていく。
 
 
 
そんな感じでしょうか。
 
 
 
 
せっかく丁寧なご感想をいただいたので、これから少しお時間をいただいて
引用しながら、私なりの思いを書いていきたいと思います。
 
 
 
つづく