映画『ウィンストン・チャーチル』

 

久しぶりに骨太な映画を観てきました。

 

 

ウィンストン・チャーチル

 

 

 

ナチスが攻勢を極めていたとき、イギリスの首相になったチャーチルの、史実に基づいたお話です。

 

 

前に『英国王のスピーチ』を観ていたし、

ダンケルクという映画も公開されていたのを知っていたので、

それぞれのピースが

 

 

 

なるほど~

 

 

 

と、一つにまとまった感じでした。

 

 

 

この映画で、特に印象に残ったのは、次の2つの場面。

 

 

1つ目は、イギリス国王が、

お城のバルコニーで「憎い」と言った場面。

 

もう1つは、チャーチルが生まれて初めて乗った地下鉄で、

市民と語り合う場面。

 

 

この映画は、戦争を描きながら、

戦争の場面はほとんど出てきません。

 

 

チャーチルその人に、ひたすら密着して描かれています。

 

最愛の奥さまとの、あるいは新米秘書との心の通い合いが、

ともすれぱ息が詰まりそうな緊迫した映画に、

心暖まる空気を運んでくれました。

 

 

歴史の授業で習って知ったつもりになっていたチャーチルとは、

全く違う顔を持ったチャーチルを知ることができて、

大満足の映画でした。

 

 

チャーチルは、言葉を武器に変えた男でした。

 

 

 

思いつきのひと言

マンガを読んで、胸踊る思いをしたり、感動して泣いたこともある。

 

マンガには、感情に訴えかけるチカラが、確かにあるとは思う。

 

けれど、マンガさしか読んでいないと、読解力は身に付かないんじゃないかと思う。

 

だって、あれこれ想像を巡らさずとも絵で示されちゃってるから。

 

でも、実は読解力って、ものすごく大事。

言葉は全てであって、全てでない

先日の<思いつきのひと言>に書いたことを、もう少し詳しく書いてみたいと思います。

 

<思いつきのひと言>

 

 

 

まず今回は、言葉は全てであって、全てではないということについてです。

 

 

言葉が全てではないということですが、たとえば、

 

この言葉さえ唱えていれば、幸せになります

 

 

といって、ある言葉をひたすら唱えるだけでは、やっぱり幸せにはなれないと思うのです。

 

その言葉を唱えている自分の心の状態が大切だからです。

 

どこかで、疑いの気持ちを持ちながら唱えたところで幸せはやってきません。

 

 

けれど、心の在り方に影響を与えるという点で、言葉を唱える意味はあります。

 

 

 

それでは、言葉が全てといのは、どういうことでしょうか?

 

 

言葉

 

 

と聞いて思いつくのは、どんなことでしょう。

 

多くの人は、会話を想像するのではと思います。

 

つまり、人とやり取りするために使うもの。

 

 

でも、考えてみてください。

 

 

わたしたちは、何かを感じたり考えたりするときにも、言葉を使っています。

 

ふと心にわき上がる思い。

 

それも、言葉を伴っています。

 

 

あれこれと巡らす考え。

 

 

そこにも、言葉が存在しています。

 

 

つまり、わたしたちは、たとえ一人きりでいたとしても、そこには常に言葉があります。

 

わたしたちは、常に言葉と共にあるのです。

 

 

だからこそ、言葉は大切なのです。

 

 

言葉には、言霊というエネルギーが込められています。

 

言葉というより、そもそも50音の1音1音に固有のエネルギーがあり、言葉はその集合体です。

 

 

このエネルギーの捉え方が大切です。

 

 

たとえば、

 

 

 

 

というエネルギーに、あなたはどんなイメージを持ちますか?

 

 

 

暗闇を照らすもの

 

 

というイメージが、強いかなと思うのですが、果たしてそれだけでしょうか。

 

 

疲れて休みたいときの光は、あまり有り難くありませんね。

ゆっくり休むには、暗い方が落ち着きますね。

 

 

エネルギーには、いいも悪いもありません。

 

状況に応じた使い方が重要です。

 

 

 

普段、口にするだけでなく、思ったり考えたりするときにクセになっている言葉はありますか?

 

その言葉には、どんなエネルギーが込められており、そして、あなた自身、どんなイメージを持っていますか?

 

 

一度、じっくり振り返ってみることをおすすめします。

 

 

近々、そんな振り返りに役立つワークショップも開催する予定です。

 

 

興味のある方は、ぜひご参加ください。