思いつきのひと言

誰かの心ないひと言で傷つく

 

っていうことは、生きていると何度か経験する。

 

 

その傷を引きずりながら、あるいは、

そのひと言を言った人間を恨みながら、

生きていくことにもなりかねない。

 

 

そんなときは、

心ないひと言を言われた

ということと、

それによって傷ついた

ということを、分けて考えるといいんじゃないかな。

 

そんな心ないひと言を言うような人間の発した言葉に、自分という人間が傷つく必要があるのか?

 

そうすると、自ずと答えは見えてくる。

思いつきのひと言

時として人から誤解を受けることも、あるかもしれない。

 

すると、その誤解を解きたいと思って、焦ってしまう。

 

でも、誤解する人は、誤解したい人なんだよ。

 

そんな人間の評価なんか、氣にしたって仕方ない。

 

 

 

そして、本当にそれが誤解なら、それは、これからの生き方で証明していけばいい。

 

ただまっすぐに、素直に、正直に生きていけば、必ずできる。

 

それが、人生。

 

焦りは禁物。

 

焦らず、ただ一生懸命に生きていけば、それでよい。

思いを共有したいのだ

 

たとえば、なんでブログを書くのかといえば・・・

 

何かに対する思いがあって、

だけど、ただ思っているだけじゃ物足りなくって、

誰かに伝えたいっていう気持ちが抑えきれないから。

 

 

そして、

 

 

もし、思いを共有できたなら、すごく嬉しいから。

 

 

 

 

でも、ブログを書いたからといって、

必ずしもわたしの伝えたいことが伝わっているとは限らない。

 

 

 

 

たとえば、気に入った本を、時を置いて再び読んだとき、

必ずしも、以前読んだ時と同じところで感動するとは限らない。

 

以前、心に残った文章が、今回もまた心に残るかどうかわわからない。

 

 

 

わたしは「レ・ミゼラブル」というミュージカルが大好きで、

日本での舞台以外にも、ロンドンでも観たし、映画も何度も観ている。

DVD持ってるし。

 

そして、その都度感動しています。

 

 

でも、感動する場面が観るたびに違ったりする。

 

 

思い入れの強い登場人物も、そのたび変わる。

 

初めて観たときは、ひたすらジャン・バルジャンを追いかけていたのに、

次の舞台ではファンテーヌに涙して、

それからエポニーヌのいじらしさに心打たれ、

亡くなった仲間を思って歌うマリウスを抱きしめたいと思い、

ジャベール警部にだって、彼の人生に思いを馳せて号泣したこともある。

 

 

一人の人間だって、その時々でこんなに違うのに、読み手が変わればなおのこと。

 

 

 

とすれば、思いを共有するのは、さらに難しいのかも。

 

 

 

だから、

 

 

 

小説にしろブログにしろ、自分の諸々の思いを込めて書くのだけれど、

発表してしまえば、もうそれは読み手のもの。

 

 

 

ここは、こう読め

 

 

 

とか、

 

 

 

ここで感動して欲しい

 

 

 

 

とか、注文を付けることは実際問題できることじゃあない。

 

 

 

それを承知で、というか、そんなことも飲み込んで、作品を発表する。

(わたしにとっては、ブログの記事も、やっぱり作品)

 

 

 

だって、

 

 

それが、わたしの幸せだから。