7.生まれて初めての夢のお告げ

父が亡くなって10日後が私立の、1か月後が公立高校の入試日でした。

 

病院に泊まり込んでから葬式が終わるまで、約1週間学校を休んでいました。

わたしは、不安でした。

それでも、もし公立に落ちて私立に行くことになったら、一生懸命勉強して特待生になって、学費を免除してもらとうと本気で考えていました。

 

***

 

まさに今日が私立高校の入試日、という日の朝方のお話です。

 

わたしは夢を見ました。

 

亡くなったはずの父が、わたしに黄色いワンピースを買ってくれるという夢です。

 

わたしは、目が覚めた瞬間、

 

受かった

 

と思いました。

 

父がワンピースを買ってくれたからではありません。

特に黄色いワンピースが好きだったわけでもありません。

でも、夢から目覚めた瞬間、そう思ったのです。

 

これは、その後、夢から様々なメッセージを受け取るようになってから分かったことですが、夢からのメッセージというのは、理屈ではありません。起きた瞬間に、答が心の中にあります。

それが、夢からのメッセージです。

夢の意味をあれこれ考えなければならないのは、まずメッセージではありません。

 

話を元に戻しますね。

目覚めた瞬間に受かったと思ったわたしは、母に言いました。

 

わたし、受かったから。

 

母は、びっくりしたように、こう言いました。

 

何言ってるの?  これから試験を受けるのに…

 

同じ学校を受ける仲間と待ち合わせて会場に向かう時にも、わたしは皆に、

 

わたし、受かったから

 

と言い続けていました。

我に返ったのは、試験が終わって帰る時です。

 

どうしよう~  皆に「受かる、受かる」って言ってしまって。もし、落ちたら、どうしよう~

 

試験の結果は『合格』でした。

それも、本当に特待生になれるほどの高順位で。

通常、入試の結果の詳しいことは教えてもらえないことになっているらしいのですが、あまりの高順位に先生も驚いたようで、こっそり教えてくれました。

 

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人生の価値

わたしは、中学3年生の時に、父を急な病で亡くしました。      連載中のプロフィールはこちら※※※

 

そして、その時に決めたことがあります。

それは、

 

命ある限りは、何があっても生きる。

 

ということ。

病気で、あるいは事故で、死にたくなくても死ななければならない人もいるのです。

だったら、生きてる限りは生きよう。

 

そう決めました。

 

もうひとつは、

 

あの時、お父さんが死んでしまったから、こんなふうになっちやったんだ!

という人生ではなく、

あの時、ああいう経験をしたおかげで今がある。

と、思える生き方をしよう。

ということです。

 

どちらも、理屈ではありません。

ふいに、そう思い決めたのです。

 

それが、“ 気づき ” というものなのでしょう。

 

その後も、数々の出来事がわたしの人生に起きました。

 

けれど、どんなに絶望的になったときでも、このふたつの考え方が、わたしを支えてくれました。

 

***

 

人生には、色々なことが起こります。

けれど、出来事は、所詮出来事。

単なる事実に過ぎません。

 

辛かったり悲しかったりしたとしても、それがイコール “ 悪いこと ” にはなりません。

ある出来事が自分の身に起きた時、それを踏まえてどう生きるかは、本人の自由です。

起こる出来事の選択権はなくても、生き方の選択権は、この手の内にあります。

 

父が亡くなった時、わたしは、神様から「この人生を生(行)きなさい」と言われたのでした。

 

けれど、その指し示された道をどう進むかは、わたしの自由。

 

道端の花を愛でながら行くもよし。

バイクに乗って飛ばすもよし。

ヒョコヒョコと横道へ逸れるのも、また有りです。

 

***

 

辛かったり悲しかったりした出来事であっても、それを栄養にできれは、それらは、結果として、自分にとって良い出来事になります。

 

つまり、人生の価値は自分で決めることができるのです。

 

それは、とりもなおさず、自分の価値は、自分で決めることができるということでもあります。

 

 

 

6.父、逝く・・・その3

父が亡くなったのは、年が明けての2月6日です。

あと2か月といわれていたのが、4ヶ月持ちました。

いよいよ危ないということで、数日前から家族全員が病院に泊まり込んでいました。

ある日、病室でみんなで話をしていた時、母が、

 

あ、点滴が減ってない!

 

小さく叫ぶように言いました。

 

すぐに先生を呼びましたが、すでに息を引きとった後でした。

父は、家族の会話を聞きながら、一人静かに旅立ったのでした。

45歳でした。

 

父の葬儀は社葬となりました。

会社の人たちが大勢来て、なにからなにまでやってくれました。

会場となったお寺の前には沢山の花輪が並び、会社の上司や同僚や部下の方たちが、やってきては声をあげて泣きました。

わたしは、男の人が声をあげて泣く姿を生まれて初めて見ました。

 

 

葬式というのは、こういうものなのか

と、どこか他人事のように思っている自分がいました。

中学校のクラスメイトも先生と一緒に葬式に来てくれましたが、わたしは、

 

まるで見せ物だな

 

と思いました。

 

そういえば、お通夜の前の晩だっでしょうか。

お寺で、みんな一緒に寝ました。

それが、とても嬉しかったのを覚えています。

父は遺体となってはいましたが、久しぶりに家族全員が揃ってひとつ屋根の下にいると思うと、わたしは嬉しくてたまらなかったのです。

 

不思議な感情に取りつかれた、不思議な時間を生きていたようです。

 

その後、何年も経ってから、母たちに、

 

あんたは、一番可愛がられて、贅沢に育てられた。

 

と、言われたことが何度かあります。

 

確かに、末っ子のわたしは、父がある程度出世してから生まれたので、経済的に恵まれていたし、末っ子ということでみんなから可愛がられたでしょう。

 

でも、

 

でも、

 

たった15年だよ。

 

わたしは、心の中でそっとつぶやきます。

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***

 

やがて、自分が45歳になったとき、思わずわたしは父に謝りました。

 

お父さん、ごめんなさい!

わたし、45歳になっても、まだこんなだよ!

 

と同時に、こうも思いました。

 

子どもの頃のわたしの目に映っていた父は、いつも堂々として自信に溢れていたけれど、もしかしたら、やっぱり悩んだり迷ったり、不安になったり、揺れていたときもあったかもしれないと。

 

そして、46歳の誕生日を迎えた時は、とうとう父より長生きをしてしまったのだと、なんとも言えない、しみじみとした気持ちになりました。

 

それから、さらに10年の歳を重ねました。

 

この10年の中での変化は、目まぐるしいものがあります。

 

それは、また、これから少しずつお話ししていきたいと思います。

 

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