3.好きな子はいるの?

中学校では、1年2年と担任は英語担当の女の先生でした。

小学校でも1年から4年までは、例の作文事件の女の先生。


プロフィール連載 2 .
『自分を守れなかった』☆☆☆


わたしは、どうも女の担任教師とは、あまり相性が良くなかったようです。

 

***



中学1年のときのことです。

個人面談のようなものがありました。

そこで、聞かれたのは、


好きな子はいるの?


他にもあったと思うのですが、それだけは強烈な印象で残っています。


もちろん、いましたよ!  

大好きな男の子。



片思いです。

でも、ほんと大好きでした。


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色に出でにけり
わが恋は      
ものや思ふと 
人の問ふまで  

             平兼盛



でも、わたし、先生の問には、


いません。


と言い張りました。


何度聞かれても、「いません」と答え続けました。

なぜか、言いたくなかったんです。

そんなことまで、どうして先生に言わなくてはならないのって、心の中には疑問符が一杯でした。


何度、聞かれても「いない」と答え続けたわたしは、さぞかし可愛いげのない生徒だったことでしょう。


3年生になるときのクラス編成で、その先生がわたしを受け持ちたくないとおっしゃったそうです。


それなら、わたしが受け持ちましょう。


と、名乗りを上げてくださったのは、バレー部の顧問をしていた男の先生でした。


この先生、男子のことはすぐ殴る、ちょっと変わり者だったのですが、生徒の人気は絶大の先生だったのです。


こういうのを、


瓢箪から駒


というのかしら !?


この先生には、その後起きる人生の一大事のときに、本当にお世話になるのでした。

 

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2.自分を守れなかった

小学校の3年生か4年生のときの社会科の授業で、こんな作文の宿題が出ました。


社会主義と資本主義について書きなさい。
                                                                 

わたしは家に帰ってから、一生懸命に考えて作文を書き、提出しました。

後日、作文を返してもらうとき、先生が言いました。


誰に聞いて書いたの  ?


わたしは意味が分からず、何も答えることができませんでした。

しばらく経ってから、家で親に聞いて書いたと思われたのだということに、思いが至りました。


悲しかったです。

悔しかったです。


でも、何が悲しかったのか、何が悔しかったのか、そのときは分かりませんでした。

ただ、ずっとモヤモヤしたものを心の中に抱えたまま、この出来事は、いつしか記憶の彼方へと葬り去られていきました。

***



今、改めてあの時のことを振り返ってみて思います。


まず、頭ごなしに、誰か(親?)に聞いて書いたと決めつけられたこと。

そして、そう言われた時に、自分が何も反応できなかったこと。


それらが、悲しくて、悔しかったのだと。


決めつける前に、「どうして、こう書いたの?」と、先生に聞いて欲しかった自分。


「自分で考えて書きました」って、言えなかった自分。


予想外の対応をされると、人間って、思考がフリーズしてしまうんですね。

ポカ~ンとしてしまって、反応できない。

いわゆる、

虚を突かれる

ってやつでしょうか。

後になって気づいても、今さら言えない。

そして、処理仕切れない感情だけが、心に残りました 。


わたしは、わたしを、守れなかった 。


***



今のわたしなら、こう考えます。


先生が思わず誰かに聞いて書いたと思ってしまうほどに、わたしの作文が、よく書けていたんだ 。


と。


それなら、わたしの心に悲しさや悔しさは残りませんものね  。


それから、

嫌なものは嫌。

違うことは違う

と、言う。

これって、とても大切  。

自分の気持ちを尊重するってことは、自分を大切にすることにつながるから  。

 

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1.体育会系文学少女だった

わたしは、3人兄弟の末っ子です 。
わたしたち兄弟は3人とも生まれた場所が違います。
末っ子のわたしは、新聞記者だった父が長野支局にいた時に生まれました。

場所は長野日赤病院。
時は56年前の日曜日の昼下がり。
あと少し遅かったら、担当の先生がお昼休みでいなかっただろうという、絶妙?の時間帯。

その時、父は病院裏の公園で、兄と姉をボートに乗せていたそうです 。

日曜日の昼下がりに生まれるなんて、さぞかし優雅な人生を歩んでいくだろうと思いきや、その後のわたしの人生は、波乱に満ちたものでした 。



 ***


わたしが物心つかないうちに、家族揃って名古屋へとお引っ越し。

出身地はどこかと聞かれると、少し悩むのですが、やっぱり名古屋でしょうか 。
味噌煮込みうどん、あんかけスパゲッティー、そして寿がきやのラーメンが大好きですから 。


さて、幼稚園から地元の小学校へと進んだわたしの日常はといえば ・・・


小さい頃から背も高く、運動神経も良かったせいか、休憩時間には男子と一緒に運動場を真っ黒になって走り回るという、まさに体育会系の日々。

けれど、学校が終わって家に帰ると、一転わたしは物静かな文学少女と化していたのです。


なぜかというと、わたしの家は学区の外れにあり、存分に学校で遊んで帰宅すると、それからまた学校の向こう側にいる友だちの家まで、はるばる遊びに行く気には、さすがになれなかったのです。


わが家には本棚が大小あわせて5つくらいあり、その前に立てば、その時わたしの読みたい、あるいは読める本が必ず見つかるのでした。

おかげで、中学生になるまでは、本屋で本を買う必要がありませんでした。

***


幼い頃は、本をペラペラとめくり、挿し絵の多い本を選んでいた記憶はありますが、絵本を読んだ記憶はあまりありません。


好きだったのは、シートン動物記、怪盗ルパンシリーズ、それから世界文学全集などです。

シートン動物記で泣きじゃくり、怪盗ルパンに胸躍らせ、世界文学全集で未知の世界に遊ぶ・・・そんな毎日でした。

特に怪盗ルパンは大好きで、ルパンに操を立てて?シャーロック・ホームズは全然読まなかったくらいです。


本を読む以外で没頭していたことは、国語の教科書の中の読めない漢字や意味のわからない言葉を全部ノートに書き出して、片端から辞書で調べることと、教科書の音読でした。

***


そんな、体育会系文学少女だった頃、大好きだった作文の宿題で、とても悲しい出来事があったのです。

 

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