『あけと』 について

新しい屋号を何にしようと考えているとき、ふと気づきました。

わたしは、ヒーラーでもあり、これまでリーディングの仕事もしてきていたのです。

こんな時こそ、リーディング!!  

そこで、気持ちを落ち着けてハイヤーセルフに問いかけてみました。

*ハイヤーセルフとは?

自分の魂の高次元の側面のこと。 本来の自分(何のためにこの世に生まれてきたのか、その意味や目的を覚えている、知っている自分)、と思っていただけばいいです。    

 

すると、 『 あけと』   という3文字が降りてきました。  

あけと?  

なんだ、これ~   と、思いました。

でも、ハイヤーセルフからの言葉です。間違っているわけがありません。  

しばらく考えたのち、  

扉を開ける  

と、閃きました。  

うだ!  わたしは、ワークショップやセミナーを通して、たくさんの人たちが、人生の幸せの扉を開けるお手伝いをしたいと思っていた。だから、『あけと』なんだ! 

 

***

   

さて、わたしは、現在『ことだまワークショップ』を各地で開催しています。  

これは、ひらがな50音の一音一音に込められたエネルギーについてお伝えするワークショップです。  

そこで、念のため『あけと』のエネルギーも調べてみました。

あ・・・愛

け・・・放つ

と・・・統合  

最もシンプルにエネルギー翻訳をすれば、  

愛を放って、そして統合する。  

なります。  

また、秋頃を目処に、ワークショップに新たなメニューを加える予定ですが、そこには数霊の要素をもと考えています。  

なので、数霊でもチェックしてみました。  

あ・・・1

け・・・9

と・・・17  

で、合計27。  

『27』のキーワードは、  

祖国、神界、尊敬  

数霊アクションとしては、    

日本と日本人の素敵なところを挙げてみましょう。 祖国よよさを改めて認識してみると、また違った発見があるのでは?    

と、あります。  

なんと、わたしがワークショップを始めた理由とピッタリ一致するではありませんか!!  

やはり、ハイヤーセルフからのメッセージは確かなものでした。

 

  ***  

新たな屋号は、

  氣づきの学び舎  あけと  

す。  

どうぞ、よろしくお願いします。

4.父、逝く ・・・ その1

 

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中学3年生の秋口だったでしょうか。

母と姉が目を真っ赤に泣き腫らして帰ってきました。

姉は元々泣き虫でしたが、母は勝ち気で社交的な人でしたので、その母が泣きながら帰ってきたのが、わたしには異様に感じられました。


その頃、父会社に出かけても、具合が悪いからと途中で帰ってきてしまうような日が続いていました。


新聞記者になりたくてなりたくて、そうして念願叶って新聞記者になった父でした。

仕事が大好きで、喜びと誇りを持っていた人でした。


その父が、出勤途中で帰ってくるなんて、よほど具合が悪いに決まっています。

嫌がる父を、ようやく精密検査に行かせ、その結果を母たちが病院に聞きに行った日でした。



お父さん、癌だって。

お腹を開いたけど、もうどうしようもなくて、そのまま閉じたって。

もって2ヶ月なんだって。



その時のことを、どう書いたらいいでしょう。

わたしは驚くでもなく、悲しむでもなく、ただ黙っているだけでした。

予想もしない母の言葉にそれが何を意味するのか、とっさには理解できなかったのだと思います。


***


それから、怒濤のような日々が始まりました。


父がいなくなるということは、一家の大黒柱がいなくなるということです。


私立に通わせる余裕はなくなるから、絶対に公立に行ってもらわなければ困る。


母は言いました。


といえば、すでに受験する高校も決めていましたが、担任の先生と相談の上、変更しました。


さらに、



もうこれから先、あなたはお父さんの力を当てにはできないのだから、自分の力で生きることを考えなさい。


母から、そう宣言されました。


中学3年生のわたしにとって、その言葉は心に深く刻みつけられました。

そして、それは、わたしのその後の生き方に大きな影響を及ぼしました。


***


後から考えれば、母も必死だったのでしょう。

母は、娘のわたしが言うのもなんですが大変美しい人でした。

授業参観に来た時などには、



ゆみこちゃんのお母さん、外人?


と、クラスメイトから必ず聞かれました。

そんな母は、短大生の時に、友人と共に父の大学の学祭に行き、そこで父が母に一目惚れ。


必死で口説き落として、母が短大を卒業と同時に結婚したのでした。


その話を初めて聞いた時は、「あの、威厳の塊のようなお父さんが!?」と、にわかには信じられませんでしたが、なんか嬉しくてほのぼのと暖かな気持ちになったのを覚えています。



母は、勝ち気で社交的な人で、PTAでも活躍したりしていましたが、これまで1度も社会に出て働いたことのない人でした。

それが、40歳を過ぎて初めて働かなければならなくなったのです。

それも、家族を養うために。

どれほどの不安があったでしょうか。

なおかつ、その前に父の看病という大仕事が待っていたのです。


***


家族のみんながみんな、必死の思いでいっぱいでした。

                                                         

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3.好きな子はいるの?

中学校では、1年2年と担任は英語担当の女の先生でした。

小学校でも1年から4年までは、例の作文事件の女の先生。


プロフィール連載 2 .
『自分を守れなかった』☆☆☆


わたしは、どうも女の担任教師とは、あまり相性が良くなかったようです。

 

***



中学1年のときのことです。

個人面談のようなものがありました。

そこで、聞かれたのは、


好きな子はいるの?


他にもあったと思うのですが、それだけは強烈な印象で残っています。


もちろん、いましたよ!  

大好きな男の子。



片思いです。

でも、ほんと大好きでした。


しのぶれど o0220030913308485383[1]
色に出でにけり
わが恋は      
ものや思ふと 
人の問ふまで  

             平兼盛



でも、わたし、先生の問には、


いません。


と言い張りました。


何度聞かれても、「いません」と答え続けました。

なぜか、言いたくなかったんです。

そんなことまで、どうして先生に言わなくてはならないのって、心の中には疑問符が一杯でした。


何度、聞かれても「いない」と答え続けたわたしは、さぞかし可愛いげのない生徒だったことでしょう。


3年生になるときのクラス編成で、その先生がわたしを受け持ちたくないとおっしゃったそうです。


それなら、わたしが受け持ちましょう。


と、名乗りを上げてくださったのは、バレー部の顧問をしていた男の先生でした。


この先生、男子のことはすぐ殴る、ちょっと変わり者だったのですが、生徒の人気は絶大の先生だったのです。


こういうのを、


瓢箪から駒


というのかしら !?


この先生には、その後起きる人生の一大事のときに、本当にお世話になるのでした。

 

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