4.父、逝く ・・・ その1

 

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中学3年生の秋口だったでしょうか。

母と姉が目を真っ赤に泣き腫らして帰ってきました。

姉は元々泣き虫でしたが、母は勝ち気で社交的な人でしたので、その母が泣きながら帰ってきたのが、わたしには異様に感じられました。


その頃、父会社に出かけても、具合が悪いからと途中で帰ってきてしまうような日が続いていました。


新聞記者になりたくてなりたくて、そうして念願叶って新聞記者になった父でした。

仕事が大好きで、喜びと誇りを持っていた人でした。


その父が、出勤途中で帰ってくるなんて、よほど具合が悪いに決まっています。

嫌がる父を、ようやく精密検査に行かせ、その結果を母たちが病院に聞きに行った日でした。



お父さん、癌だって。

お腹を開いたけど、もうどうしようもなくて、そのまま閉じたって。

もって2ヶ月なんだって。



その時のことを、どう書いたらいいでしょう。

わたしは驚くでもなく、悲しむでもなく、ただ黙っているだけでした。

予想もしない母の言葉にそれが何を意味するのか、とっさには理解できなかったのだと思います。


***


それから、怒濤のような日々が始まりました。


父がいなくなるということは、一家の大黒柱がいなくなるということです。


私立に通わせる余裕はなくなるから、絶対に公立に行ってもらわなければ困る。


母は言いました。


といえば、すでに受験する高校も決めていましたが、担任の先生と相談の上、変更しました。


さらに、



もうこれから先、あなたはお父さんの力を当てにはできないのだから、自分の力で生きることを考えなさい。


母から、そう宣言されました。


中学3年生のわたしにとって、その言葉は心に深く刻みつけられました。

そして、それは、わたしのその後の生き方に大きな影響を及ぼしました。


***


後から考えれば、母も必死だったのでしょう。

母は、娘のわたしが言うのもなんですが大変美しい人でした。

授業参観に来た時などには、



ゆみこちゃんのお母さん、外人?


と、クラスメイトから必ず聞かれました。

そんな母は、短大生の時に、友人と共に父の大学の学祭に行き、そこで父が母に一目惚れ。


必死で口説き落として、母が短大を卒業と同時に結婚したのでした。


その話を初めて聞いた時は、「あの、威厳の塊のようなお父さんが!?」と、にわかには信じられませんでしたが、なんか嬉しくてほのぼのと暖かな気持ちになったのを覚えています。



母は、勝ち気で社交的な人で、PTAでも活躍したりしていましたが、これまで1度も社会に出て働いたことのない人でした。

それが、40歳を過ぎて初めて働かなければならなくなったのです。

それも、家族を養うために。

どれほどの不安があったでしょうか。

なおかつ、その前に父の看病という大仕事が待っていたのです。


***


家族のみんながみんな、必死の思いでいっぱいでした。

                                                         

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3.好きな子はいるの?

中学校では、1年2年と担任は英語担当の女の先生でした。

小学校でも1年から4年までは、例の作文事件の女の先生。


プロフィール連載 2 .
『自分を守れなかった』☆☆☆


わたしは、どうも女の担任教師とは、あまり相性が良くなかったようです。

 

***



中学1年のときのことです。

個人面談のようなものがありました。

そこで、聞かれたのは、


好きな子はいるの?


他にもあったと思うのですが、それだけは強烈な印象で残っています。


もちろん、いましたよ!  

大好きな男の子。



片思いです。

でも、ほんと大好きでした。


しのぶれど o0220030913308485383[1]
色に出でにけり
わが恋は      
ものや思ふと 
人の問ふまで  

             平兼盛



でも、わたし、先生の問には、


いません。


と言い張りました。


何度聞かれても、「いません」と答え続けました。

なぜか、言いたくなかったんです。

そんなことまで、どうして先生に言わなくてはならないのって、心の中には疑問符が一杯でした。


何度、聞かれても「いない」と答え続けたわたしは、さぞかし可愛いげのない生徒だったことでしょう。


3年生になるときのクラス編成で、その先生がわたしを受け持ちたくないとおっしゃったそうです。


それなら、わたしが受け持ちましょう。


と、名乗りを上げてくださったのは、バレー部の顧問をしていた男の先生でした。


この先生、男子のことはすぐ殴る、ちょっと変わり者だったのですが、生徒の人気は絶大の先生だったのです。


こういうのを、


瓢箪から駒


というのかしら !?


この先生には、その後起きる人生の一大事のときに、本当にお世話になるのでした。

 

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2.自分を守れなかった

小学校の3年生か4年生のときの社会科の授業で、こんな作文の宿題が出ました。


社会主義と資本主義について書きなさい。
                                                                 

わたしは家に帰ってから、一生懸命に考えて作文を書き、提出しました。

後日、作文を返してもらうとき、先生が言いました。


誰に聞いて書いたの  ?


わたしは意味が分からず、何も答えることができませんでした。

しばらく経ってから、家で親に聞いて書いたと思われたのだということに、思いが至りました。


悲しかったです。

悔しかったです。


でも、何が悲しかったのか、何が悔しかったのか、そのときは分かりませんでした。

ただ、ずっとモヤモヤしたものを心の中に抱えたまま、この出来事は、いつしか記憶の彼方へと葬り去られていきました。

***



今、改めてあの時のことを振り返ってみて思います。


まず、頭ごなしに、誰か(親?)に聞いて書いたと決めつけられたこと。

そして、そう言われた時に、自分が何も反応できなかったこと。


それらが、悲しくて、悔しかったのだと。


決めつける前に、「どうして、こう書いたの?」と、先生に聞いて欲しかった自分。


「自分で考えて書きました」って、言えなかった自分。


予想外の対応をされると、人間って、思考がフリーズしてしまうんですね。

ポカ~ンとしてしまって、反応できない。

いわゆる、

虚を突かれる

ってやつでしょうか。

後になって気づいても、今さら言えない。

そして、処理仕切れない感情だけが、心に残りました 。


わたしは、わたしを、守れなかった 。


***



今のわたしなら、こう考えます。


先生が思わず誰かに聞いて書いたと思ってしまうほどに、わたしの作文が、よく書けていたんだ 。


と。


それなら、わたしの心に悲しさや悔しさは残りませんものね  。


それから、

嫌なものは嫌。

違うことは違う

と、言う。

これって、とても大切  。

自分の気持ちを尊重するってことは、自分を大切にすることにつながるから  。

 

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