『 謙遜 』と 『 謙虚 』

フェイスブックでつながっている方から、こんな質問をいただきました。

抜粋で紹介させていただきます。

 

* * * *  *

 

謙遜って、 いつ頃日本に入ってきたのでしょうか?

戦国時代に謙遜してたら抜擢されないですよね?

ブッダは唯我独尊って言ってますよね?
自分を大切にしてますよね。

 

いつから、 ややこしくなったのでしょう??

 

* * * * *

 

といった内容でした。

すでに返信済みですが、せっかくなので、もう少し詳しくしたものを、ここに紹介させていただきます。

 

* * * * *

 

まず前提として『言葉は環境から生れたてきた』ものです。


『伝える』という点のみに着目すると、言葉は単なる道具ですが、『環境から生まれる』という点に着目すると、言葉もまた、その国が誇る素晴らしい文化であることがわかります。


『謙遜』は、かつての中国で生まれた言葉(考え)です。
ちなみに、漢字(中国語)はだいたい5C頃から日本に伝わってきたと言われます。

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それぞれの漢字の意味は、

謙・・・『へりくだる、でしゃばらない』

遜・・・『へりくだる、少し劣る、譲る』

となっています。


『謙遜』という言葉の意味も、『自分を低いものとして、相手に対して控えめな態度をとる』とあります。


よく似た言葉に『謙譲』がありますが、こちらは『自分の能力や功績を人前で誇ったりせず、相手を立てることを第一とする』とあります。


『謙遜』には、まず自分を低いものとするという発想がありますが、『謙譲』には自分に能力や功績があることが前提になっていることがわかります。

『謙譲の精神』という表現があるように、本来の日本人には『謙遜』より『謙譲』の方が、その心に叶っているように思います。

 

ちなみに『謙遜』を言靈でエネルギー翻訳すると、『大いに寄り添う気持ちを表に出す』といった意味になります。

そのエネルギーをどんどん強調していった結果、ただひたすらに自分を低くするという、現在の『謙遜』になっていったのかも・・・

 


さて、『唯我独尊』ですが、これは釈迦が唱えた『天上天下唯我独尊』の略。

つまり、こちらはインドで生まれた言葉です。

言葉の意味は、

 

天と地の間にあって、我より尊い存在はない。

 

という、自尊心を称えた言葉です。


かつての中国で生まれた言葉と、インドで生まれた言葉。

環境が違えば、そこで暮らす人々の思想も異なり、生まれる言葉も変わります。


面白いものです。

21.人生初のイジメに遭う

わたしが短大を卒業するころは、バブル前夜ともいうべき時代でした。

わたしの住んでいた名古屋では、女子の採用のメインが高卒から短大卒へと移行していた頃であったのもラッキーでした。

わたしは運よく大手損保に採用が決まりました。

 

就職したら、家に生活費を入れること。

嫁入り資金も自分で貯めること。

 

就職を目前に母から言われた言葉です。

収入の面からも、福利厚生の面からも、願ってもない大手損保への就職でした。

当初、わたしが配属されたのは、四日市支店の支店長席でした。

 

名古屋から四日市に通うのはかなり大変でしたが、職場環境もよく毎日楽しく仕事に励んでいました。

 

1年経った頃です。

わたしとは逆に、四日市から名古屋支店に通っていた人が体調を崩し、わたしと交換ということになりました。

名古屋支店の新しい職場は、課長と副長以外は女性のみという部署でした。

 

そこで遭遇したのは、先輩Aさんによる酷いイジメでした。

 

まず、挨拶など声をかけても、絶対に返事がしてもらえない。

わたしがどんなに忙しくて、Aさんがのんびりしている時でも、鳴った電話には決して出てくれない。

二人の間にある引き出しの下の段を開けている時に、上の段を突然開けられる。

etc  etc …

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特に悲惨だったのは、Aさんがわたしの教育係だったことです。

異動に伴い、職種も変わったので、わたしはAさんに仕事を教えてもらわなければなりませんでした。

そのAさんからのイジメ。

もちろん、仕事もまともに教えてはもらえません。

わたしの心の中にはAさんへの恐ればかりが膨らんでいきました。

そんな中で仕事を教わっても、覚わるわけがありません。

わたしは、ミスを連発しました。

それに対して、またAさんの機嫌が悪くなるという悪循環に完全にはまっていったのです。

 

わたしは、それまでの人生でイジメを受けたこともなければ、イジメたこともありません。

だからでしょうか、これがイジメだと氣づくまでに、しばらく時間がかかりました。

 

これは、何かの間違いだ。

きっと、そのうち誤解が解けて仲直りできる。

 

ずっと、そう信じていました。

ところが・・・

 

その課には、みんなで積み立てをして、年に一回社員旅行に行くという習慣がありました。

その時は、Aさんの強い要望で京都に行きました。

後で知ったことですが、Aさんには付き合っている彼氏がいて、その彼氏と京都デートを楽しむ計画だったようです。

 さて社員旅行から帰ってきてから、数日後のこと。

Aさんが、他の先輩と笑顔で何やら話していました。

 

上手く出来なくてさぁ~

 

そんな言葉が聞こえてきました。

と、同時に、わたしの目にゴミ箱の中の一枚の写真が・・・

 

ゴミ箱に捨てられていたのは、社員旅行で撮った集合写真でした。

そして、その写真の中のわたしの顔だけが切り取られていたのです。

 

もう、この人とは決して分かり合えないし、仲良くもなれない

 

と、思い知った瞬間です。

 

やがて、朝の出勤時、地下鉄に乗っていると、胸の辺りが苦しくなるようになりました。

 

あ~、これが話に聞いていた出社拒否症というやつなのかなぁ~

 

頭の中で、ぼんやりと考えながら会社へ向かう日々の始まりでした。

 

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過去のわたしと、今のわたし

つい最近、過去の自分と今の自分で、何が一番変わったかについて、振り返る機会がありました。

 

 

過去の自分は…

 

過ぎ去ったことを、いつまでも思い悩んだり…

まだ来ぬ未来を勝手に想像(妄想)して、思い患ったり…

その結果、肝心の現在(いま)を見失う。

 

ということが多かったような氣がします。

 

過酷過ぎる現実から目を逸らさずには居られなかった。

という時も、確かにありましたが・・・

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そして、今の自分は…

 

過去は終わったことで、既に存在しない。

もちろん、過去の経験を活かしての今なのですよ。

でも、活かすのは過去の “ 出来事 = 器 ” ではなく、その “ エキス = 中身 ” ですよね。

 

そして、未来は、まさにまだ来ぬもの。

つまり、まだ存在していない。

今の変化に応じて、どんどん変わっていくもの。

 

だったら、今確かに存在している “ 現在 ” を大切に生きるしかないじゃない。

 

ということが、頭だけでなく、心から理解できるようになりました。

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もちろん、過去の思い出に浸ったり、未来に思いを馳せることは、今だってあります。

けれど、必ず、今ここに戻ってくる。

それが、当たり前にできるようになったな。

 

と思うのです。