コミュニケーション

ブログを書いたり、小説を書いたりしながらも、

メールや電話が苦手です。

 
 
 
 
 
昔は、友人からも
 
 
電話になると人が変わる
 
 
と言われました。
 
 
 
 
ものすごくぶっきらぼうで、要点しか話さないから。
 
 
 
 
 
なんでかなぁと考えてみたら、メールや電話は、
声音も表情もわからないから、だから苦手なんだということに、氣がつきました。
 
 
 
 
コミュニケーションは、言葉だけでなく声音や表情が、
総合的に組み合わされているものだと思うのです。
 
 
 
 
みんなも、どこかで、そのことがわかっているから、
メールにも絵文字やスタンプを駆使するんじゃないかな。
 
 
 
 
最近、お氣に入りのラインスタンプ
 
 
 
 
 

別の人格になれる?

自分のブログが人に読まれるように、人のブログも読むわけですが……

 
 
 
 
たまたま知っている人のブログも、ごく稀に読みます。
 
 
 
なぜ、ごく稀に読むのかと言えば、ごく稀にしか更新されないからです。
 
 
 
その人と知り合って10年くらい経つのですが、
ブログに書かれている内容と、
わたしの知っている彼女との落差が大きくて、
毎度
 
 
 
いやいや、そんな気持ちがあるならさぁ
 
 
 
と、ひとり突っ込みをしています ふぅ
 
 
 
 
 
 
とはいえ、彼女は別にブログを使って仕事をしているわけでないので、
本人とブログの文章との間に落差があったところで、
特に問題はないでしょう。
 
 
 
 
だから、わたしも無責任に茶々を入れながら読むわけで。
 
 
 
 
 
で、ふと思ったことです。
 
 
 
 
わたしの知っている彼女と、ブログの中の彼女が違っていたところで、
それが何なんだ?
 
 
と。
 
 
 
 
ブログの中で、別の人格になれるから楽しいというのも、当然ありだし。
 
 
 
 
それに、ブログに書けるということは、そういう気質が彼女の中にあることも、
また確かなこと。
 
 
 
無いものは出てきませんからね。
 
 
 
ブログの中の彼女として存在している現実の場面も、
きっと、あるのだろうし。
 
 
 
ただ、その場面に、わたしが遭遇していないだけの話で。
 
 
 
 
 
 
 
 
ところで、わたしは小説を書きますが、
以前は本名とは程遠いペンネームで書いていました。
 
 
 
生身の自分から離れないと書けなかったんですね、その頃は。
 
 
 
特に、知り合いに自分の作品が読まれるのは、
まるで裸を見られるようで、ものすごく恥ずかしかった。
 
 
 
そのくらい文章には、その人となりが出ると思っているのです。
 
 
 
表面的なお話としては小説だから色々あるんだけど、
でもそれを生み出すわたしの思いや考え方、感性など、
あらゆるものが染み込んでいると。
 
 
 
 
 
でも、そのうち段々慣れて開き直ってくるし、
ブログに連載プロフィールも書いたし、
ほとんど怖いものはなくなったかも。
 
 
 
年齢のせいもあるかもしれません。
 
 
 
60年も生きてくれば、ちっとやそっとのことでは
動じなくなってきますね、やっぱり。
 
 
 
それが歳を重ねるということなのかも、しれません。
 
 
 
 
 
 
 
とりとめのないお話に、最後まで付き合っていただき、ありがとうございました。
 
 
 

箱根のカフェ

箱根に来ると必ず行くのが、こちら
 
 
 
 
 
 

 
 
 
いつもは、帰る日に寄って、
ハチミツ生姜パンを
しこたま買い込むのですが、
今日は、3階のレストランへ。
 
 
 
うまい具合にカウンター席が空きました。
 
 
 
 
まるで、一幅の絵のようです。
 
 
 
 
 
 
 
夫と二人でシェアして、いただきました。
 
 
 
美味しかったぁ~