恩師に捧ぐ

三重県の文芸サークルの仲間から、わたしの文芸の師 清水信先生の訃報を受け取りました。

 

かつて「書きたい」衝動に駆られ、見学に行ったサークルにいらっしゃったのが清水先生です。

 

 

おもろいじいさんだな

 

 

というのが、第一印象で、そのことを後に何かに書いたら、

 

 

 

大家である清水先生のことを、「おもろいじさん」とは、失礼だ!

 

とのお叱りを受けたことがあります。

 

 

けれど、第一印象がそうだったのだから仕方ありません。

 

 

わたしは、先生が東京でも名の知られた、高名な文芸評論家だということを

サークルに入るまで知りませんでした。

 

 

 

有名な先生のやっているサークルだから見学に行ったのでも、入会したのでもなく、

〝 おもろいじいさん ″ だったから、入ることを決めたのです。

 

 

 

 

この人の下でなら、きっとわたしは書ける

 

そう思いました。

 

ただ。それだけです。

 

 

 

サークルに入会した際、どんな文章を書きたいかと問われ、

 

上品な文章を書きたい

 

と答えて、たいそう珍しがられ、面白がられた記憶があります。

 

 

そして、勝手にそれを先生と交わした約束と思い決め、心に留めて書いてきたつもりです。

 

 

約10年、先生の下で書いてきました。

 

 

そして解雇されたのを機に名古屋の実家に戻ることになり、そのままきちんとご挨拶をする暇もなく、

サークルを去りました。

 

 

(そんな失礼な去り方をしたのは、諸々の事情によるものですが、今ここで書く氣はありません)

 

 

こんなわたしが現れたりしては、ご迷惑なのではないか

 

そんな思いが邪魔をして、会いに行くことができませんでした。

 

もっと正直に言えば、そんな余裕がなかったのです。

 

 

いきなり解雇に伴って生じたトラブルで、わたしはパニックに陥っていました。

 

 

お世話になった方々に挨拶をして四日市を去る。

 

 

そんな余裕は、とてもありませんでした。

 

目の前の過酷な現実という荒波に翻弄されて、息も絶え絶えに実家に戻ったというのが実際のところです。

 

 

 

あれから15年は経つでしょうか。

 

 

その頃の文芸仲間の一人とは、今も繋がっていて、今回先生の訃報を伝えてくれたのも彼女です。

 

繋がっているというより、彼女が繋げ続けてくれていたといった方が正しいでしょう。

 

本当にありがたいことです。

 

 

年に1~2回、彼女の参加している同人誌ができると送ってくれます。

清水先生の訃報も、同封されていた手紙によって知ることができました。

 

 

時折、先生のことを思い出しては、

 

もうずいぶんとご高齢のはずだけど、お元気だろうか

先生のことだから、もしかしたら一生死なないのではないか

 

そんな風に勝手に思っていました。

 

けれど、先生は確実に年を取られ、そして亡くなったのでした。

 

小説にしろ、ブログにしろ、『書く』ことをしているとき、

わたしの中にはいつも清水先生がおられました。

 

こんなことを書いたら、先生はなんておっしゃるだろうか

 

この作品を読まれたら、先生は喜んでくださるだろうか

 

 

それが、わたしの励みであり支えでした。

 

失礼な去り方をして、お会いすることは叶わなかったけれど、

わたしはいつも先生に語りかけながら書いてきました。

 

 

わたしは先生に約束した?通りの「上品な文章」を書いているだろうか

 

 

これは、わたしの決して譲ることのできない矜持です。

 

 

いつだったか、サークルで先生が、こうおっしゃいました。

 

 

自己満足のマスターベーション的な文章を書くな

 

この言葉は、今でもわたしの心に深く刻み込まれています。

 

 

『書く』ということは、実に自由な表現活動です。

 

何をどう書こうが、人それそれの自由です。

 

日記ならそこまででいいのですが、人に読んでもらう文章は、人に読まれ理解されてなんぼ。

マスターベーションで終わらせてはいけないのです。

 

 

手垢のついていないオリジナルの表現でありながら、読み手に伝わる表現。

いつもそれを探しながら書いています。

そして、言葉を探し、磨いていく作業が、わたしには何とも楽しいことなのです。

 

 

わたしの出会った頃の先生は、「仏の清水」でした。

(昔昔、東京におられた頃は『鬼の清水』と呼ばれていたそうです)

 

けれど、『書く』ことに対しては、優しい言葉、暖かい言葉のその向こうに、厳しい姿勢がありました。

 

わたしは、先生のそんなところが大好きだったのです。

 

 

今、一番後悔しているのは、

 

なぜ勇気を出してせめて手紙の一つも書かなかったのか

書き上げた作品の一つも送らなかったのか

 

ということです。

 

 

わたしなんかから手紙が届いたりしては迷惑ではないか

 

勝手にそう思い込んで何もできないわたしでした。

 

 

けれど・・・

 

迷惑かどうかなんて、そんなことは先生がお決めになればよかったことです。

 

わたしが勝手に決めつけることではありませんでした。

 

そんなこともわからず不義理をしたままで逝ってしまわれた。

 

そのことが、なにより残念でなりません。

 

 

先生が亡くなられたのは、わたしの父の命日2月6日の翌日の2月7日だそうです。

 

もし、父と同じ日に亡くなっていたら、わたしは2月6日という日付に、

必要以上の過度な意味づけをしていたかもしれません。

 

そうならないように、先生が配慮して一日ずらしてくださった。

 

わたしは、そう思います。

 

こればっかりは、勝手にそう思わせていただきます。

 

 

遅まきながら、

 

清水信先生のご冥福を、心よりお祈りいたします。

 

合掌