先輩にもの申す

人にはえてして、自身の経験だけが真実であると思ってしまう傾向がある。

 

そんなことを思い知らされたことがあります。

 

 

 

 

文芸サークルにいた頃に、野球場を舞台にした掌小説を書いたことがあります。

 

隣同士になった見知らぬ男女が恋に落ちるという、コミカルな作品でした。

 

文芸サークルの合評会で、会の重鎮O氏が、わたしの作品について、こうおっしゃいました。

 

 

この野球場の描写は嘘だ。

自分は何度も野球を見に行っているが、こんな光景は見たことがない。

嘘を書くな。

 

 

 

 

その方は阪神ファンで、よく甲子園に行かれるとのこと。

 

わたしはというと、前夫がドラゴンズファンで、名古屋球場には何度も行ったことがあり、そのときの様子を元に作品を書いたのでした。

 

 

 

 

人は往々にして、自分の経験したことだけが唯一の事実の思い込み、そこから得た真実だけを唯一の真実と勘違いしがちです。

 

 

 

 

 

けれど、そうでしょうか?

 

 

10人いれば10人なりの経験があり、それはその人にとっての事実であり、真実です。

 

ましてや、フィクションの世界である小説は、なんでもありの世界です。

 

にもかかわらず、自らも小説を書いている方が、自身の経験と違うからといって人を嘘つき呼ばわりするのは、おかしいのではないか。

 

 

そんなことを、後日S先生に書いて送りました。

 

主張というより、問いかけのつもりでした。

 

 

 

 

ところが、

 

 

 

翌月、サークルの会報誌を見てビックリ。

 

先輩にもの申す

 

という題が付けられて、わたしがS先生に送った文章が掲載されているではありませんか。

 

 

ガ~ン

 

 

それまで、わたしはO氏には、有望な若手が入ってきたと、どちらかと言えば目をかけられていました。

 

ところが、この日以降、完全に無視されるようになってしまいました。

 

 

 

 

 

さて、わたしは、S氏に書いて送ったことを後悔したでしょうか?

 

 

 

 

 

 

それでは、無断で文章を掲載したS氏を恨んだでしょうか?

 

 

 

 

 

 

なぜかといえば、わたしは自分のの考えを間違っていると思わないし、S先生に書いて送ったのも、 また事実。

事実から逃げるわけにはいきません。

 

 

わたしはわたしの考えや行動に、責任を持たなければいけないと思ったからです。

 

「書く」ということは、わたしにとって、そういう意味を持つことなのです。

 

 

 

 

なぜ、S先生が会報誌に載せたのかは聞かなかったのでわかりません。

なんで、聞かなかったんだろう~?

なんとなく、先生を責めるみたいで嫌だったのかなぁ~

 

 

自分が書いて送ったくせに、なんで載せたんですかと聞くのを潔しと思わなかったから。

 

たぶん、そういうことです。

 

 

 

 

 

もし、あのときO氏が、

 

 

自分もよく野球場に行くが、ここに書かれているのとは全然雰囲気が違うので違和感を感じた

 

 

とおっしゃっていたなら、わたしは素直に受け入れたと思います。

 

自分の描写が甘くて、読み手を説得できなかったのだと反省材料にしたと思います。

 

ところが、自分の経験だけを頼りに頭ごなしに嘘つき呼ばわりされたのが嫌だったのです。

 

わたしは、プライドが高く生意気なのかもしれません。

 

 

 

 

 

わたしにとって、プライドを持つということは、自分に責任を持つということと同義語です。

 

 

だから、S先生に書いて送ったことに関して説明も言い訳もせず、その結果(O氏に無視されるようになった)を受け入れる。

それが、わたしのプライドなのでした。

 

 

プライドは自己信頼からもたらされる。

 

わたしは、そう思います。