32.崖っぷちの職探し

尻尾を巻いて退散。

 

そんなイメージでの、姉の家での居候生活の始まりでした。

 30.どん底へ

 

ありがたかったのは、姉も義兄も逆に感謝してくれたことでした。

遅くに結婚した姉は共働きで、二人の子どもも手のかかる時期でした。

そこへ、無職のわたしが居候として転がり込んできたわけです。

姉の帰りの遅い日は、子どもたちの学童保育へのお迎から食事の支度まで、一手に引き受けました。

母に頼まれれば、買い物や日帰り温泉にも車で一緒に行きました。

前の結婚生活では「No」を言ってはいけない、言えない生活でしたが、居候生活の中では、「No」と言わないと自分で決めました。

生活の面倒を見てもらう代わりに、自分にできることはなんでもしようと決めました。

そんな生活の合間には、亡父のお墓にも頻繁に通いました。

お墓に父の魂がいるとは思っていません。

それでも、お墓にお参りすることで、自分の気持ちを落ち着かせることができました。

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そうやって日を送りながら、仕事探しをしていました。

まずは、人材派遣会社に登録に行きました。

そこで能力検査のようなものを受けさせられました。

たとえば、パソコンで3分間でどれだけの文字数が打ち込めるかとか・・・

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ああ、自分は商品なのだ。

 

と思いました。

わたしという人材を企業に売り込むためには、わたしという商品の性能を知らなければなりません。

わたしは雇ってもらえれば、たいていの仕事はできる自信がありました。

けれど、履歴書に書けるいわゆる特技(パソコン検定何級とか)は持っていませんでした。

雇ってもらえればと思っても、その “ 雇う ” という行為に踏み切らせるものが、なにもない。

痛感しました。

 

結局、派遣会社からは全く仕事を紹介してもらえませんでした。

最後の頼みの綱は、かつて勤めていた会社が持っている派遣会社です。

派遣会社に登録する際、そこのことが頭になかったわけではありません。

けれど、みんなに祝福されて寿退社したのに、派遣社員で戻るなんて恥ずかしいと思って連絡しないでいたのです。

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けれど、もうそんなことを言っている場合ではありません。

その会社に登録すれば、損保関連の仕事には就けるはずです。

勇気を出して連絡をし、登録も済ませました。

能力検査のようなものは一切ありませんでした。

かつて、そこの就職試験に受かっているわけですから、その点の信用はあったということでしょうか。

ほっとしました。

それでも当初は、単発で派遣の仕事を受けながら、他方で正社員の仕事を見つけるつもりでいました。

 

しかし・・・

 

履歴書を送っても、一つとして連絡はありませんでした。

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わたしが離婚したのは39歳のときです。

 

今なら、まだ頑張れる。

仕事を掛け持ちしたって食べていってやる。

 

強い決意がありました。

けれど・・・

その強かったはずの決意は、無残にもどんどん崩れていきました。

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わたしは42歳になっていました。

 

 

42歳の何も特技もない女に、世の中は用がないということか・・・

 

これから、わたしはどうなっていくのだろう。

 

夜、布団に入っては一人涙を流す。

そんな夜が何度あったことでしょう。

 

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