29.新たな旅立ちのはずだった

これからは、一人で生きていく。

経済的にも精神的にも自立した、まずは一人の人間になろう。

この地に両足をしっかりと付けた、一人の大人になろう。

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そう固い決意をして離婚したはずだったのに、立て続けに災難がわたしを襲いました。

 

まず、離婚する際に連れて出た愛犬を病気で亡くしました。

生きるのに必死で、愛犬が病に侵されているのに氣がついてやれなかった。

そのために手遅れになり死なせてしまった。

この深い後悔の念は、長く長くわたしの心に残りました。

今も完全に癒えたとは言えません。

思い出せば涙がこぼれそうになります。

この後悔の念は、おそらく一生抱き続けていくでしょう。

けれど、この思いは、ただ自分を責めるだけのものでなく、今後の生き方に活かしていくという考えに変わっています。

後悔をしない生き方。

常に最善を尽くす生き方。

そして、諦めることも学びました。

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愛犬を亡くしてしばらくは、泣いて泣いて泣きすぎて、コンタクトも入らないほどに目が腫れてしまいました。

このままいけば、完全にペットロス症候群になるところでした。

ところが、さらなる災難がふりかかってきたのです。

 

わたしが離婚に踏み切れた現実的な要因として、車を買い変えるつもりで貯めていた数十万円のお金があります。

そして、もうひとつ。

その頃わたしは、とある市民活動団体の専従として、少ないながらも定収を得ていました。

この2つの要因があればこそ、勇気を出して離婚を申し出ることができたのです。

慰謝料?

わたしは黙って別れてくれさえすれば、お金は一銭もいりませんでした。

そんなものに固執して離婚できない方が不幸です。

 

さて、とても細い糸でしたが、団体からの定収はわたしと愛犬の生活を支える貴重な糧となっていました。

ところが、ある日突然、解雇されたのです。

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その団体は、恒常的な資金難に陥っていました。

なんとかしなければと思いながらも、有効な手立てはなかなか見つかりませんでした。

そんな中で、唯一給料をもらっていた専従としてのわたし。

わたしを首にすれば、年間300万円近くのお金が浮いてきます。

 

解雇を言い渡される前日、わたしは仕事の関係で出張していました。

夜、他団体の方たちと食事をしているときのことです。

突然、心臓がドクンと波打ちました。

なんだろうと思っていると、また‥‥

不気味でした。

 

出張から戻ったら、一度病院で見てもらおうか

 

そんなことを考えながら出張から帰り、愛犬のいなくなった一人きりの部屋で休んでいた時。

電話が鳴りました。

出ると、団体の代表からでした。

 

明日から、もう来なくていいから。

 

え?

 

意味が分かりませんでした。

言葉が、言葉として頭に入ってこない感じです。

一旦、電話を切り、考えました。

やっぱり、理解できません。

こちらから、代表に電話を掛け直しました。

 

さっきの電話ですけど、それは解雇ということですか?

 

そうです。

 

明日からどうやって食べていこうと思いました。

家賃は?

食費は?

光熱費は?

頭の中は、いっぱいいっぱいのようで、空虚なようで。

どう表現したらいいのか。

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人がある日突然仕事を失うということがどういうことなのか、わたしは初めて知りました。

それは、収入がなくなって生活に困るという現実的な問題とは別に、人としての存在を否定されたような氣になるということです。

 

自分は、ここに居ていいのか?

生きていていいのか?

なぜ愛犬が死んだとき、自分も一緒に死ななかったのだろう。

 

本氣で、そう思いました。

 

中学3年生の時、父を癌で亡くしました。

日を追うごとに痩せ衰えていく父を見続けた日々。

  連載プロフィール目次

 

そんな経験のあるわたしは、

 

命ある限りは生きる

 

これだけは何があっても譲れない、わたしの信条です。

そんなわたしが、初めて『死』を意識しました。

 

死のう

 

とは思いませんでした。それだけは思えませんでした。

でも、なぜ、あの時死ななかったのかと、自分が生きていることを呪いました。

 

 

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