5.父、逝く ・・・ その2

モノクロの花

 

 

 

病院の先生と相談をして、母の出した結論は、


父に告知しない

癌センターには入れない

会社の持っている病院で、今でいうターミナルケア(終末期医療、終末期看護)を行う


というものでした。

この是非を、今ここで問う気はありません。

そんなこと、意味のないことです。


***


父が会社の病院に入院をしてから、母が月曜日から金曜日まで、病院に泊まり込んで看護。土曜日と日曜日は、母を休ませるために姉とわたしが交替で病室に。という生活になりました。

母が病院に泊まり込んでいる間、家のことは姉とやりました。

朝は、自分でお弁当を作って中学に通い、帰ってくると、姉と一緒に夕飯を作って食べました。

 

そして、週末は姉と交代で病室で過ごしました。

 

こんなことを言うと、人はなんと思うでしょうか?

 

わたしは、病院に行くのが嫌でたまりませんでした。

余命幾ばくもないと分かっている父と、病室で二人きりになるのが嫌でたまりませんでした。

父のことを嫌いだったわけではありません。

でも、それまで仕事人間でまともに会話したこともないのに、突然病室で二人きりになっても、どうしていいのか分からなかったのです。

わたしは、受験生でした。

私立に行かせるお金はないから公立に絶対に受かりなさい。と、母に言い渡された受験生でした。

けれど、病室で勉強する気にはなれなかったわたしは、日がな一日、本を読んだり、カセットを聞きながら過ごしました。

 

今ごろ、みんながんばって勉強しているんだろうな。

 

そう思うと焦る気持ちが湧いてきます。病室にいるのがもったいないとさえ思いました。

 

また、もう一つ、病室に居たくない理由がありました。

それは、わたしが行くと、父がとても嬉しそうに笑顔を見せることでした。

 

わたしの父に対する印象をひとことで言うなら、

『威厳の塊』

仕事人間の父の笑顔など、それまで一度も見たことがありません。

それが、嬉しそうな笑顔を見せながら、痛む体を一生懸命わたしの方に向けるのです。

いたたまれませんでした。そんな父の姿は見たくありませんでした。いつでも、堂々と自信に満ち溢れた父しか見たくなかったのです。そんな弱った姿の父を受け止めるだけの器を、15歳のわたしは、まだ持ち合わせていませんでした。

 

もし、わたしが女優で、今ここで泣かなければならないとしたら、即座にわたしはこの時の様子を思い浮かべるでしょう。そうすれば、わたしは即座に涙をこぼすことができます。そして、それは、わたしの中で深い後悔として、今も心に残っています。

 

 ◎◎◎ ⏪ 前            続き ⏩ ●●●